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傷だらけの天使のgeminidoorsのレビュー・感想・評価

傷だらけの天使(1974年製作のドラマ)
5.0
細かい事抜きにして…我が人生で
"初めて泣いたテレビ番組"がウルトラセブンが最終回で磔にされちゃうシーンで、
テレビドラマ観て"初めて憧れた俳優が「俺たちの旅」の中村雅俊で、
"初めて深く考えさせられた"のが「岸辺のアルバム」で、
"初めて打ちのめされた"ドラマが「傷だらけの天使」だった。ような気がする。
「探偵物語」も「探偵 浜マイク」もみ〜んな自分の内ではここに集約されてしまう、ような気もする。

おまけに感覚って奴は勝手なもんだから、国や時系列や時代考証など全然関係なくて
ーウラブレタ探偵やヤサグレタ元刑事とか画面に出て来て最終局面で活躍!しかし色んな意味で明日の金星にはならないし、再び元の暮らしに戻るだけー
みたいなドラマに逢うと、兎に角「傷だらけ〜」を想う。

当時ジャストで観れた年齢、タイミングというか…良かったのか悪かったのか。多大な影響力は未だに続いている様な気がする。

閑話休題
14〜16年程前だったか長野県のとある湖のほとりのベンチで(仕事が早上がりの午後)私が物思いに耽っていたら、隣に座られた色白の妖艶な女性は岸田今日子その人であった。
彼女は湖の近くの友達の別荘に遊びに(療養がてら湯治に)来ていたらしく、散歩の途中らしかった。

話が弾み、私の転々としてきた過去を聴き出すと"素晴らしいじゃない〜"なんて言われた。その言葉に救われたのだろう。私は彼女を前に、ムーミンパパが「ノンノン〜」と鼻づまりの声で呼ぶ物真似をしたのだ。そして本ドラマで彼女が呟く「オサムちゃん!」も畏れ多くもやってのけたのだ。
彼女はフリルのついたハンカチを口に当てがいながら、顔をクシャクシャにして笑ってくれた。
当時悩んでいた私事をも打ち明けると、アドバイスもしてくれた。

早くに実家を出たままの私は、一時でも彼女にお袋や亡き祖母をみていたのかも知れない。
夕陽が傾き、冷えてきたから"そろそろ…"となって、別れる際に握手してくれた。
何故だか涙腺が緩んだ。
彼女は"また何処かでお逢いしましょうね"と言われたから、その台詞が嘘でも嬉しかった。

長い時間お喋りして頂いたのは私の大切な思い出の一つだ。
その翌年辺りに訃報を知った。
(補:この話はいずれ『M湖のほとり』の題でブログに書き上げる予定です)

今、思い出しても何故だか目頭が少し熱くなる。
彼女と、初め緊張しながらもあんなに懸命に話せたのは、幼い頃にムーミンの声を聴いていたからではないだろう。
やはり「傷だらけの天使」に観入る事が出来たからであったと思うのだ。
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