ヒラツカ

マッドゴッドのヒラツカのレビュー・感想・評価

マッドゴッド(2021年製作の映画)
3.1
フィル・ティペットが個人的世界の広がりを自主制作の映像作品にしたという作品。彼はもともと『キング・コング』のウィリス・オブライエンや『シンドバッド』のレイ・ハリーハウゼンなど、古き良き時代のストップモーション・アニメの系譜の人ではあるが、アメリカン・ニューシネマがハリウッドを焼け野原にしたのち資本主義の商業映画がぐいぐいと台頭してきた時代にちょうど『スター・ウォーズ』で名を挙げ、その後も『ロボコップ』みたいなブロックバスターにおいて、スプラッタ・ホラーみたいなのでしか使われていなかったような不気味な人形を使った特殊技術を大々的に通用させたというのがその功績であるが、90年代に入って『ジュラシック・パーク』でコンピュータ・グラフィック・イノベーションに負けたという有名エピソードがあったりして、今となってはつまりは前時代的な大御所エンジニアという扱いになってしまった。そんな人がついに個人的な作家性を放出させたというものなので、いったいどんなものを作るのかと蓋を開けてみたところ、ティム・バートンとかヤン・シュヴァンクマイエルに類するような、人形劇だからこそダークな観念がキャッチーに昇華させられるという、言ってみればある意味公式通りのスタイルの映画だったという印象であった。
人形劇の魅力というのは僕もわからんでもない。このジャンルって、描画した線をパラパラさせるアニメーションではなく、確実に現実の切り取りなので、つまりは解像度が極大なのだ。なので、制作側ですら意図しないような「ゆらぎ」によって物理世界におけるリアリティ表現を保つことができ、その一方で、写実ではできないようなデフォルメを有効とさせることが可能となる。しかし、そのメリットを取って代わられたのが、ピクサーが『ファインディング・ニモ』や『ミスター・インクレディブル』を撮ったあたりからじゃないかな、先の『ジュラシック・パーク』ショックにも通じるところがあるけど、技術革新によりCGIによって人間の感情を容易に鼓舞できるようになっちゃって、実写ならではの繊細さをCGアニメが担うようになってからは、一気にその需要がなくなってしまった気がする。そうなってくると、人形使いはその作家性のユニークさで押し通すしかなくなってしまったが、フィル・ティペットは、前述のバートンやシュヴァンクマイエルみたいな芸術家肌とは違い、わりと理性的で社会性のあるクリエイターに見える。本作の、順当に地下の地獄へずいずいと進行していく明確なベクトルや、産業革命のメタファーとか出産のくだりなんかは、そこまで「飛んだ」ような発想には見えなかった。
でも、だからこそ、そういうことができるのかな、クライマックスからの大団円には、思わず唸ったし笑っちゃったのだ。まさか「時間」という観念を考え始めた結果、ビック・バンから生命誕生まで掌握するとは。そのスケールの大きさは、内向的な映像作家では語れないような分野であり、それってキューブリックとかリドリー・スコットとかスピルバーグとか、商業映画界の中で面倒くさい映画製作を実直に担当してきた職人だからこそ、改めて語れるような視座の高さなのかな、ということを考えさせられた。制作に30年もかかってるから、ということもあるのかもしれない。
好きだったシーンを最後に。頭で蓄電?をしている人たちがでかすぎだろ。金玉に目がついてる家畜。出産であり人体解体の影絵のくだりで、アシスタントたちがきちんとおじぎをするやつ。