新快速

黄色い雄牛の夜の新快速のネタバレレビュー・内容・結末

黄色い雄牛の夜(1996年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

歌と詩と物語ともに、素朴な娯楽とともに、動物と草木とともに、家族と親類とともに、街と街の人々ともに日々を暮らす人々の映像のために、私は上映時間いっぱいを一度もあったことのない"郷愁"の心痛を抱きながら過ごすことになった。「暮らす」という動詞には「尽くす」という含みがあるが、つまるところある場所・ある時間と不離一体の関係に入ることであり、場所のみならず時間にも住み、時間のみならず場所をも過ごすことであるのだろうと思われた。実際、壊滅した街を去った主人公の"時間"において大きな断裂があったことは、回想の述懐で述べていた通りである。

場所と時間からなる人、時間と人からなる場所、人と場所からなる時間の三者が暮らしを現出せしめることを肯うとして、さらに歌や物語も暮らしにおいて別格の重要性を帯びていたように思われる。未曾有の震災は確かに人々を殺し、場所を破壊し、時間を引きちぎったが、それでもなお黄色い雄牛の角上に住まう人々はその暮らしの喪失を免れたのかもしれないと空想する。

一応言うと、「ネタバレ」とあるが、要はただの自己陶酔ポエムであって、なんら映画について真実を語っているわけではない。バカがバレませんように。
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