私ってなにを見て、聴いているのかなとどきっとさせられた。
自分は伝えることをとまどっているかもしれない。それってなんでなんだろう?「少しの勇気でつながることができる」というけど、少しの勇気もためらうことが多い。平塚さんは「相手がなにを大事にしているか、なにを壊されたくないのかに寄り添うことが大切」と言ってた。自分は単に守りに入ってるだけなのかもしれない。
メモ
言語には歴史がある、手話にも歴史がある。音楽のようだ
なんで言い淀むんだろう、なにを気にしているんだろう
ずっと迷っている
その場で翻訳する
言葉になる前の言葉
それは魂?心?
福祉というより、文化の映画