pipboy101

東京2020オリンピック SIDE:Bのpipboy101のレビュー・感想・評価

東京2020オリンピック SIDE:B(2022年製作の映画)
1.0
ひどい映画だった
ほんとにひどかった


僕は元々河瀬直美という監督に対しては、『深刻ぶった顔で浅薄な自己愛を“それ風”に撮るだけの人』という疑惑をもっていた


本作で確信した


サイドAの評価もBを観るまで保留していたが、併せて一点である



僕なりにこの作品のメッセージを言葉にすると、

『運営側にも大変なドラマがあったよ!
今生きてる人は冷静に観れないと思うけど、(私のように)冷静かつ巨視的な視点でみたら、それはもう凄いオリンピック(運営)だったんだから!
感動!!』

だ。

僕がこの作品を卑怯だな、と思うのは、『客観的(風)』な撮り方である。

あの『東京』オリンピックの最中、我々はコロナ禍において様々なひとの意見や分断をみたはずである

開催賛成、反対いずれの意見もあったろうに、しかし、この作品は反対派の意見も、その意見に至った背景も禄に映さない。

その主たる映像はいかに『運営が苦難を乗り越えたか』である


唯一宮本亜門のとライブハウスのオーナーのインタビューが、挟まるが、彼らがなぜその意見に至ったのか? を十分に写しているとはとても言い難い。

あのオリンピックは不正誘致の疑惑や、アスリートファーストといいつつ酷暑での開催を強行したりや、異常に膨れ上がった予算であったり、会計係の疑惑の自死であったり、とても『良かった!』などと一言で言えるような代物ではなかったはずである

この作品ではそうした反対意見も『めちゃくちゃ頑張ってる運営側の足を引っ張る人』くらいにしか撮れていない

例えばバッハ会長がメガホンで叫ぶおばちゃんに、『対話をしましょう、できますか??できないのですか??』と、繰り返し『英語』で語りかけるシーンなどは本当に醜悪だな、と感じた

はっきり言っておばちゃんが英語で会話できないことなど、会長だって100も承知であろう

日本人が、ましてや年配の方が、しかもあの拙い発音で、十分に英語で議論ができるだろうとは、誰も思ってはいまい


あのシーンは『反対派はがなるばかりで議論のできない人達』という演出に利用されているだけである

また、あれだけのコロナ禍にある中、最も命の危険に晒され、かつ命を救った医療現場の人間の考えをまともにインタビューしていなかったのは、あまりにアンフェアである

看護師ひとりは、『やれと言われればやります』という、回答をしていたが、あの方の回答をもって、医療現場は『反対していなかった』とはとても言えないだろう

あのシーンも『冷静に反対派の意見も撮影してる私』の演出にすぎない、と僕は感じた

あの東京オリンピックではアスリートもひどい非難に晒されていた

アスリートと国民の分断があったように僕は記憶している

そうした分断の背景には、僕はアスリートの『俺達の夢や努力は一般人のそれよりも圧倒的に尊いんだぞ』、という傲慢さがついに露呈した点にあると思っている

あるいはそれは傲慢ではなかったのかもしれない
ライブハウスは潰れてよくて、オリンピックは開催されるべきだったのは当然なのかもしれない

でもそれはなぜ??

この作品にはそうした疑問を考えた跡すらなく、両方の立場を写しもしない


あの時日本に起きていたこと」の殆ど全てを捨てて、『運営の人凄い頑張ってたね、みんな知らないと思うけど。
感動!』

作品としての底が浅すぎるように僕は感じた


あれだけの巨大で、人間の様々な感動も下品さも垂れ流したオリンピックというイベントを、この監督は結局のところ、『深い想いと感動』のような、一見よさげな、しかしその実ただひたすらに浅薄な、ありものの視点で撮影しただけだ、と僕は感じた


過去作同様の欠点に加え、僕の中での河瀬直美像に、『権力にしっかり媚びる監督』という要素が加わった

自分の払った金がわずかでもこの作品の興行収入にカウントされるのかと思うと、やるせない

自分にはそんな作品だった
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