KEKEKE

フェイブルマンズのKEKEKEのレビュー・感想・評価

フェイブルマンズ(2022年製作の映画)
5.0
- スピルバーグ...泣
- 家族、挫折、そして何より映画が元来持つ暴力的な側面を、その映画自体を用いて正面から語ってみせた
- それは彼がカメラ、フィルムに人生を捧げてきたことの表白であり、彼自身を構成する哲学の証明のようにも見える
- 疑いの余地なく全世界が認める巨匠がどのようにして現在に至ったか、スピルバーグは自身の半生を運や才能、努力だけの単純な物語にすることを避け、またその悲劇や苦労を過度にドラマティックに脚色することもしなかった
- 愛する家族といくつかの挫折、そしてそれら全てが今に収束し彼の人生の「理由」になっているはずだと、彼自身が捧げる祈りのような映画だった

- 「全ての出来事には意味がある」と呟く母の表情が、作品冒頭で印象的に提示される
- 少年時代の主人公は、まさに彼の将来を決定付けるひとつの理由であるかのように、スクリーン上で衝突する列車に魅せられてしまった
- 芸術肌の母と理知的な父、溌剌な妹たち、そして映画を愛する少年として健康に育つ彼は、一見これ以上なく恵まれた環境に置かれているように映る
- その家族に重大な欠陥があることが判明するのが、キャンプで撮影した映像を、彼が母のために夜なべして編集する重要なシーケンスだ
- それは彼にとって初めての挫折であった
- 無邪気に被写体に向けたカメラが、現実の残酷さをありのままに写し白日のもとへ晒してしまうこと、そしてその現実をエディットする権利が自分に委ねられていることを知る
- これまで映画の正の側面にしか触れてこなかったサミーに、その事実はとてつもない残酷さでのしかかってきただろう
- それは奇しくも、父と母が自分と結びつけてくれた映画というメディア、編集という行為が孕む暴力性そのものであった
- さらにこのきっかけとなった父による申し出が、真に心からの妻への愛情で為されたようにも、決死の告発のようにも、どちらにも見えてしまうのが本っっ当によくできている
- 現実が常にそうであるように、この映画ではその決断の真意は明らかにされず、永遠にわからない
- ましてやサミーがそのとき下した「編集」という決断が、その後の家族の運命をどう左右したかなど、神のみぞ知るところなのである
- まさにスピルバーグが画面に映し出すこの場面こそが、真に映画の暴力性を示しているのであって、カメラを向けることと編集権を持つということが何を意味するのか、切実なまでに自覚的に作品に仕上げてしまっている事実が、彼の巨匠たる所以をありありと観客に示しているのだ
- ここからしばらく涙が止まらなかった

- 特筆する点は枚挙に暇がないないのだが、あえて「挫折」という一点に着目するなら、高校のイケメン(名前忘れちゃった)の独白のシーンだろう
- 私は、サミーが映画のもう一つの側面を知る重要なシーンであったと考える
- それはまたしてもカメラ、フィルムの暴力性にほかならないのだが、母親の浮気を写してしまったあの時とは真逆の暴力性、つまり、そこにある現実を意図が多い隠してしまう性質についてだった
- たしかに存在したはずの現実は、カメラを通すことでフィクションになる
- 映像に意図をもたせてしまう、それは被写体がカメラに映る直前まで、その実存を担保していた原因を作為的に多い隠してしまうことになる
- イケメンは言った、俺が早く走れるのはそのための訓練をしたからだ
- この映画が提示するもう一つのメッセージは、手を動かせ、むしろこれが主題なのかもしれない

- 映画を観るシーンが初期衝動のきっかけになる1回のみで落ち込んだ、結局手を動かした人間が正義なのは頭ではわかっちゃいるんだけど
- 衝突に魅せられるのクローネンバーグのクラッシュみたいだなと思った
- ひとの浮気でこんなに泣いたの初めてだ
KEKEKE

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