ゆ

ミステリと言う勿れのゆのネタバレレビュー・内容・結末

ミステリと言う勿れ(2023年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

「ミステリという勿れ」という作品自体に、特有の趣深さのようなものがあり、それを最大限に活かされた構成になっているのではないだろうか。
映画館の音響の点もあるが、初めの事故のシーンの爆発音が、個人的には心臓に悪いくらいの爆音のように思えて、その点だけが心残りだった。(大きすぎる音は苦手なので)
全体的に素晴らしくて、特に菅田将暉氏の久能整という人間の解釈と演技があまりにもニュートラルというか、自然で、アイコニックになりすぎていないのが、本当に凄いなと思う。
整くんは、どうしても、一歩間違えると人ではなくキャラクターになってしまうような存在であるように思える。
これまでも十分自然に思えてきた菅田氏の演技だったが、この作品以上にその能力を発揮しているものはないのでは無いかとすら思えてしまう。
何様だよ、という感想ではありますが。

King Gnuの『カメレオン』の醸し出す切なさと透明感、登場人物分の真実という事実を組み立てるためのピースが散らばっているかのような音楽は、やはりこの作品に欠かせないものであることを感じさせた。
また、『硝子窓』の歌詞や、音響の感じが、この作品の味わい深さをさらに高めていたのではないか、と感じる。
やはり、King Gnuの音楽は、こういう、どこか辛く寂しさを抱えながら、溌剌としたような、「幸せ」といったようなという感情の仮面を被ったような人物の出てくる作品において、その仮面を剥ぎ取っていくように感じられて、好きだと思った。

事実を明らかにすることで、それぞれにまた新たな真実が生まれ、それにより、人は悲しみ、苦しみ、強く生きようともするのではないだろうか。

現れた事象を、自分でその真実を確認もせず面白おかしく叩き、批判し、正義を振りかざすより、様々な視点から、事象を考え、適切に対応していくことの重要性を再確認させられたような気がする。

ただ、整くんの言葉は、フラットに見えるけれど、彼の嫌う、自分が避けられずに通る道である「おじさん」や大人といった存在を批判する観点が多かったりもすることを忘れないようにしたい。
「女は〜〜」という言葉はおじさんによって作り出された、という考えは、とても響くけれど。

(追記)
「半分こをして、大きい方をくれる人が優しい人だとは限らないですよ。もしかしたらその人は、何かを得たいと思っているかもしれないし、罪悪感からそうしているのかもしれない」(うろ覚え)
これが1番、ふと思い出すセリフだった。人の行動にはある程度の心理が働いているものですが、その行動を起こす心理にまで意識を巡らせ、「かもしれない」に留める整くんには、やはり脱帽。
ゆ