305備忘録

グレート・グリーン・ウォール ~アフリカの未来をつなぐ緑の長城~の305備忘録のレビュー・感想・評価

4.5
アフリカ大陸、サハラ砂漠の南方に広がる、サヘル地域。アフリカ大陸を西端のセネガルから東端のエチオピアにかけて横断するその帯状の地域は、気候変動の矢面に立ち、深刻な砂漠化が進行する地域だ。かつては緑の生い茂っていたこの地域は相次ぐ旱魃により深刻な飢饉に繰り返し襲われ、多くの人の命が奪われ、住処を追われてきた。

2007年、そんなサヘル地域の砂漠化を食い止めるための一大プロジェクトが打ち出された。それが、「グレート・グリーン・ウォール計画」。アフリカ大陸を横断する8000kmもの距離を人の手で植林して砂漠化を食い止める緑の盾とするという、人類史上最大規模の植林プロジェクトである。正直、あまりに途方のない規模感に面食らってしまった。

ただでさえ気候変動の煽りをくらうこの地域では、連動するように治安も悪化し、紛争が絶えず、情勢も不安定だ。当然このプロジェクトがスムーズに遂行されるわけもなく、現在このプロジェクトの達成率は15%、完成する目処は立たない。

サヘル地域の一国、マリに生まれたミュージシャンのインナ・モジャは、このプロジェクトに強く関心を持ち、サヘル地域を西から東へ旅をしながら人々と交流し、音楽を通してプロジェクトを支えるツアーを実施。この映画はそんな彼女の旅を撮影したドキュメンタリー。

インナ・モジャとともにアフリカ大陸横断の旅に出ると、すぐにそのプロジェクトの孕む不安定さと、その猶予のなさに直面することになる。そして想像以上の困難、悲しみ、計り知れない絶望が、サヘル地域の人々を取り巻いていることを知ることになる。

映画の中で、「アフリカン・ドリーム」という言葉が繰り返し登場する。はじめはまるで空虚なものを待ち望むかのようで馴染めない言葉に感じた。しかし、旅を共にするうちにその印象は変わる。

「アフリカン・ドリームはいままではいつもアフリカの外にあった。これからはアフリカの中で夢を抱けるようになってほしい」

サヘル地域に生まれた人々は、多くがその地域を離れることを強いられる。投獄覚悟で隣国を目指し、そして命懸けでヨーロッパへ渡る。多くの人が命を落とす。それでも、海を渡って貧困から抜け出すこと、それだけが「アフリカン・ドリーム」なのだという。

「死か、ヨーロッパか」
そんな言葉がアフリカの若者の間で交わされる。アフリカン・ドリームは、貧困と絶望の人生から抜け出すまるで蜘蛛の糸のようなか細い一縷の望みだったのだ。それは私たち、先進国の人々の生活の足元で実際に起きている。私たちは普段そのことを気にかけることもない。その事実に、その無自覚な残酷さに嫌というほど気が付かされる。

かつて三国にまたがって豊かな水源を提供していたチャド湖は、いまやその面積の95%を失ったという。チャド湖の変貌と連動するように、周辺国では奪い合いの紛争が激化してきた。

武装組織に襲撃され、孤児になった少女たちと会うインナ。誘拐され兵士にさせられた少年と話すインナ。戦争でいつも犠牲になるのは女性だと、繰り返し児童婚させられた挙句に自爆テロを強要され、逃げてきた少女たちに連帯を示すインナ。そして、家族を養うために故郷を出たものの、命懸けの旅に失敗してどこへも行けずに居場所をなくして彷徨う青年たちに会い、涙を流すインナ。

生まれてくる子供たちが、居場所をなくして彷徨うことがないように。新たな被害者にも、加害者にもならなくて済むように。そんな思いのもとに、私たちはどこの国にいても連帯することができるのではないだろうか。遠い国の、そこの責任で行うべき出来事として切り捨てられる問題ではとっくにない。大規模な気候変動、紛争、テロ、移民問題、排斥、差別。この広く狭い地球の中で、すべて繋がっていて、すべて影響を及ぼしあう。

映画の中では触れないが、海外へ輸出する食品や製品のための大規模プランテーションや鉱山の開発などの人為的要因も砂漠化を進める1つの要因と指摘されている。貧困から抜け出すために外貨を獲得する、その為には植林よりも大規模プランテーションを作って先進国に売る方がずっと手っ取り早い。私たちの使う製品や、口に入れる食品の多くが海外由来のものによって成り立っている以上、私たちの生活と、彼らの土地を蝕むことを全く切り離してしまうことはできない事実が確かにある。

長い苦難の旅のように思われるこのツアーも、最終地のエチオピアでとある地域を訪問することで、一つの小さな、しかし心強い希望に出会うことができる。80年代の歴史的な大飢饉の傷跡を今も色濃く残すエチオピアだが、そこでは地道な植林活動によって乾いた土地を甦らせた人たちがいた。

「勇気を持って未来を創造する必要がある」
短期間では得られない結果のために、巨額のコストを割いて行動することは、とても勇気のいることだ。無理解や冷ややかな視線との果てのない闘いに出るようなものだと思う。貧困から目先の利益に飛びつく人たちを止める術もない。

けれど、それなら一体何のために勇気を持って未来を創造するのか。それは次の世代の子供達の居場所を取り戻すために他ならない。もしかしたら、それだって当たり前の人間としての行いなのではないだろうか。遠く離れた土地で苦しむ仲間と連帯することも。インナが真っ直ぐに語りかけるその力強い瞳が印象的だ。