小説『君たちはどう生きるか』
著 : 吉野源三郎
この小説とは内容が全く違ったものであるが、本編で説かれている「物ごとを深く考えぬきその本質を探る」というメッセージ性の部分では、視聴者に今作の意味を考えさせるという点で通ずるものがあると感じた。
また、今までのジブリ作品を思わせる要素がふんだんに入った作品であったと言えよう。
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
以下、ネタバレ&考察
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
まず、アオサギや塔の中での出来事は全て真人の妄想であると考える。
冒頭のシーンから分かるように、当初真人はナツコ(実母の妹であり義母)のことを受け入れられず快く思っていなかった。新しい環境に対しても同様で、それについては冒頭のシーンで一切言葉を発しなかったことから見て取れる。
では現状へのストレスや不満を感じた子どもは何をするか。妄想だ。
自ら空想の世界を創り出し現実逃避をするのだ。(この結論に行き着いた理由としては、真人と同じ境遇、離婚後、実父が新しい人を妻に迎えた経験をした友人の話から行き着いた)
となるとアオサギや塔は何だったのか。
アオサギ : 無意識の自分
塔 : 心の壁
アオサギは嘘をつくと言った。
真人は自分で付けた頭の傷を転んだと嘘をついた。
そして最初は敵同士のようだった関係から友になり、最後はお互いの心の中で(?)会話をし、姿を消した。
塔では様々な体験をすることとなった。
しかし最後には塔は完全に崩れ落ち、帰ってきた時には真人はナツコを「母さん」と呼び、受け入れたように見えた。まるで真人と新しい家族との間にあった壁が無くなったかのように見えた。
千と千尋の神隠しのように分かりやすい妄想の世界への入口がなかったために混乱したことに加え、まだまだ考察が不十分だったり謎な部分も多いが、ひとまずこのような考えに至った。
皆さんの考察も思い思いにコメントして頂けると嬉しいです。
冒頭シーンの火災の作画、迫力が物凄かった!まるで風立ちぬのよう。
塔内での生物は風の谷のナウシカ。
アオサギがプーンと真人を運ぶシーンは千と千尋の神隠しの湯婆婆の手先。
おばあちゃを小さい湯婆婆がいたね。
ナツコもジーナに似ていたような、、、。
窓が縦横と4つに分けられそれぞれ別の色のガラスになっていたところでは、ハウルの動く城を思い出させられた。