地球が自転、公転するように、永遠不変のものはこの世には存在しない、という、ある意味では禅のような悟りの境地にあるストーリーなのだが、そこにパニック障害とPMSという具体的な病気、病症を入れることで、その悟りと俗のはざまに生きる人間を、柔らかい光で(ハレーションの美しさよ)包んだような映画。しかしまあこの主演の二人ありきの映画であり、同僚として、ゆっくりと親しくなって、当然恋愛関係になることもなく(そうなったらこの映画は終わりだ。そうならないことは上白石萌音がポテチの残りを恥じらいもせずほうばるシーンが示す)、やがて離れる、という、ほとんど何万年もの時間をかけて動く星の動きのような関係を、別にお互いに無理に理解しようともしないし、治癒するわけでもないし、あるがまま、という描き方をしたことが禅っぽいのかもしれない。原作ものだし冒頭のモノローグはやや長く感じるが、三宅唱は人間を見る、映すレベルが、石井某のようなそこらの疑似社会派のような監督とは全然違う。