テロは許されない、「けど」。
FBIが警告するのも頷ける。これは「けど」を生んでしまう可能性を秘めている。
私はアリーシャの立場に近くて、物理的な人的被害をもたらさないとしても、暴力や非合法な手段に訴えるのは違う。声が届かないからといって、テロで意見を表すのは違う。暴力ではなにも解決されない。
けれど。ソチ(主犯)の思惑はそこにとどまらない。彼女は、今回の計画でなにも社会構造への打撃や人々への急激な意識変革を期待してはいなかった。テロ(暴力行為)をすることが目的化しているテロとは、一線を画していた。彼女は波紋を起こそうとした。ある意味でのパイオニアになろくとした。彼女によって杭はしっかりと打たれてしまったのだ。
でも、これはあくまでも物語の中……だといえようか。映画が映画としてちゃんと面白いから、訴えたいことが明確だから、空恐ろしい。
語弊を恐れずに言えば、ソチは教祖になり得る。
彼女の杭が、「テロは許されない、けど(彼女の言っていることにも一理あるかもしれない)。」という考えが物語からはみ出してしまったら。FBIの懸念が現実になる。
これは「けど」を生んでしまう可能性をはらんでいる、物語が現実世界に侵入する可能性をはらんでいる。そんな怖さを感じた。