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果てしない散策を、休息を、旅を、冒険を、
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『果てしない散策を、休息を、旅を、冒険を、』に投稿された感想・評価

過去鑑賞作品
被写体の女性と、旅の記録のような、しかしミクロな夢幻とでも言うような感傷を与えてくれる映像だった。
山田勇男の映像文体を「感傷」で一括りにするのもどうかとは思うが、そう感じてしまうものは仕方がない。外山光男と並んで好きな作家だ。ずっと冬のような映像だと思う。
最後に被写体の女性が「私はあなたのことが」と独白をする。「私」はテクストにおいて主語の役割を担い、その「私」に疑問は抱かれない。つまり、「私というもの」が前提とされている独白だ。それは結果的に生じる私であり、ノエマ的である。
では、「私」に至る過程とは何か。それは換言するならば「私ということ」であり、宮沢賢治を引けば「私という現象」になる。「私ということ」はひどく不安定で、不確定である。それは「私というもの」をつくりあげる過程であり、ノエマ的(主語的)私に対して、ノエシス的(述語的)私である。私という現象が引き延ばされ、画面をたゆたい、それらが作家の文体と、時間と溶け合う幸福な情感を生成する。
女性は最後にしか言葉を発さないが、旅の映像を流し続けることで不確定に変化する世界=ノエシス的私を表出させ、最後に「私は」ではじまる、確定したノエマ的私を表出させたのだと思う。「私は」ではじまる独白を可能にした時点で、ほんとうに必要な「私」は、私のすべてはそこに到達している。だから独白のその後の言葉は必要がなく、発言の不可能性故に、ノエマ的になり得た「私」は再びノエシス的私に戻り、終わりない夢が続く。