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Love to Love You, Donna Summer(原題)のemuaarubeequeのレビュー・感想・評価

4.5
帰国便の機内映画にあったドナ・サマーのドキュメンタリー「Love to Love You, Donna Summer」。70年代のミュンヘンやアメリカのディスコカルチャー映像が結構見られるかもというくらいの軽い期待で見始めたが、重みのある人間ドラマだった。監督を務めるブルックリン・スダーノはドナの次女で、女優としても活躍しているが、母の全盛期は知らずに育った。そもそもドナは子どもたちに愛を注ぐ反面で、プライベートを秘密にしたがり、生前には自分の部屋に決して他人を入れようとしなかったという。

わたしは母の何を知っているの? そんな動機で数々の証言が集められた。家族、親族、関係者(なかには2度と会いたくないほど彼女を傷つけた男もいる)。大スターだったから、当時の映像や発言もたくさんある。ボストンではマイノリティな黒人家庭出身。ミュージカル「ヘアー」のプロデューサーに目をつけられ、ドイツ版の中心部キャストに起用されたのが19歳。彼女のキャリアはそこで大きく動き出したので、70年代前半の活動の場も最初の結婚もヨーロッパ。

彼女を一躍アメリカで有名にしたのは「Love To Love You」(1975年)。当時は「セックス・ディスコ」と評されたスキャンダラスな曲。アメリカでの発売を担当していたニール・ボガード(カサブランカ・レコード)は、発売当初すぐには火が点かなかった原因を探りに、ディスコへ通う。そこでこの曲をDJにプレイさせると、ゲイのダンサーたちが熱烈に反応し、「もう1回かけて!」と懇願してくる。そのとき、「そうか、曲を長くすりゃいいじゃん!」。ボガードはこの曲の20分に及ぶ12インチミックスを制作。そこから全米2位までたどり着くのはすぐだった。ディスコでロングミックスが好まれるようになった黎明期のエピソード。当時、彼女自身は離婚して、バブルガムっぽいポップソウルを歌いつつ、ミュンヘンで次のキャリアの幕開けを待っていたところ。やがてジョルジオ・モロダーを音楽パートナーに迎え、彼女の歌を通じてディスコにシーケンサーという音楽革命が持ち込まれ、ポップシーンに飛び火。やがてドナ・サマーはセックスシンボルから「クイーン・オブ・ディスコ」と呼ばれるようになる。そんな急激なスターダム騒動のなか、彼女は自分の歌をあくまで「演技」ととらえて葛藤し、シンガーとして自分にできる役割を考え続けていた。

ってまだ冒頭から1/3くらいだけど、すでにこのあたりまでで、ハイプでペラペラな中古LP300円のディスコディーヴァだというイメージは覆っている。「Hot Stuff」誕生秘話とか、そんなんを散りばめたエンタメ裏表話だと思ってたのに、表立った成功の描写は駆け足。それに、歌ってる彼女はお飾りつけたお人形ではなく、めちゃ表情も豊かでチャーミングなのだった。

彼女が作詞も手がけた80年代ヒット「She Works Hard For The Money」は、日本では「情熱物語」という中学生にも?な邦題だったけど、本国では彼女自身はっきりウーマニズムを標榜し、「自分のキャリアでももっとも誇るべき曲」と公言していた。情熱ではなく搾取に抗っていたんだってば。

80年代後半以降は徐々に第一線を退き、クリスチャニズムに則した活動にシフト。HIV感染が社会問題になったときパルプマガジンが彼女の発言として同性愛否定を伝え、彼女の評価が爆下がりした一件(悪質なデマとして否定されている)なども隠すことなく取り扱われていた。1980年に結婚し、生涯を添い遂げた2番目の夫は、ブルーアイドソウルバンド、ブルックリン・ドリームス(いいアルバムが何枚かある)の中心人物だったブルース・スダーノ。ふたりの間に初めて生まれた娘に「ブルックリン」と名づけたのはそこ由来?

ぼくの世代のロックファンは「ドナ・サマーを聴くべき!」と薦められた経験はないはず(現在50代半ば)。むしろ蔑むべき存在だったよね。アンダーグラウンドディスコでもオーバーグラウンドなポップとしても、彼女の曲は誰かが誰かを愛したいように愛するその気持ちを解放するアンセムだったのに。

プロモーションビデオのNGカット集がエンドロールで流れる演出もよかった。彼女が家族に愛されていた証拠でもある。HBO製作で、アメリカではケーブル放送と配信のみ? やべ、Filmarksの星も、おれひとりしかつけてないじゃん! 日本ではスクリーンでも見られるといいなと思ってます。
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