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バト・ミツバにはゼッタイ呼ばないからのLCのレビュー・感想・評価

3.4
面白かった。

題名にもある「 Bat Mitzvah (バト・ミツバ)」は、ヘブライ語にすると「 בת מצווה 」と記す。この言葉の音をアルファベットにしているんだね。意味は、戒律の娘、といった感じ。
作中では「大人になる為の儀式」と語られるが、儀式名からもわかる通り、「戒律を守れる年齢になりました」の意味合いが強いとされる。その為、選挙権とか結婚とか「成人として与えられる権利を得る日」みたいな、そういう側面は薄い。

主人公は、度々「神様、ステイシーです」と神に語りかけるが、これは Judy Blume という人の作品「 Are You There God? It's Me, Margaret (神様、私マーガレットです)」という本を思い出す。
この作品は1970年代のものだけれど、当時の10代の子どもの気持ちを理解し、寄り添う物語として、良くも悪くも話題になった。その中身に、生理や性交渉の描写を含むからである。
著者は「自分が10代の頃に感じた不安や疑問や何かに対する憧れは、それらとは切り離せないもの」という姿勢みたいなのだけれど、本作もその考え方を採用しているようだ。
つまり、現在10代の者たちや、10代の頃の気持ちを覚えている者に向けた物語ということなのだろう。

主人公は、友情や恋愛や家族との関係の中で、彼女なりに気を遣ったり、衝突したり、気持ちを制御する為に神さまに語りかけたり動画を取り込んだりする。自分と神さまだけが知っていればいい、親にも友にも見せるつもりのない独白であり、動画だったろう。
動画内の彼女も言っているが「誰にも見せない」からこそ、ありのままの気持ちや関心を表現できる。でも、ありのままのそれらを他者に知られる恐怖は Judy が作品を世に出した1970年代も今も変わらないんだね。
すね毛を剃ることが必要に思えてやってみたはいいけど、想像と違って傷はつくし、また毛が生えてきた時にチクチクかゆかったりするし、そういうことを話せなかったりする気持ち。「みんなは違うのかな」「私だけなのかな」という不安。でも、今の友だちに相談する気にはなれない。
この心理を理解しやすく描いているのが、噂の存在かなと思う。悩みを話すと、知らないところで他者に面白おかしく話されるかもしれない。クスクス笑ってるのは、私の恥ずかしい話を誰かから聞いたから?疑心暗鬼の完成だ。
安心して何でも話せる間柄を維持した子たちの強さも垣間見る。

注目されたいし、好きな子とドキドキしたいし、生理だって避けられない。
気持ち悪い、と感じさせる描写を採用する作品が多いのだけれど、本作は配慮されている気がする。特に、女の子たちが「毎月くるもの」「あんたには耐えられないだろうね」等と口々に言うところは、割と「気持ちを描く」作品として誠実な気がする。
生理に苦しむ経験を持つからこそ、「気持ち悪い」という一言を見過ごせない。簡単に嫌悪感を表明する人は男女問わずいるけれど、作中の主人公をその場面で咄嗟に庇えるかどうかって、割と人間性出るところなのではないか。
その場面で、主人公がどれほど居心地が悪く、いたたまれなかったか。この先ずっと、トラウマとして引きずってもおかしくない。
そのショックを、親友に向けてしまう心理も理解できるものだ。安心して八つ当たりできるのである。あの場で、八つ当たり以外に自分のショックを処理できる方法が、他に見つからなかったのだ。

すれ違ったり、ときめいたり、和解できそうでホッとしたり、自分の過ちに向き合えなかったり、ある時突然視野が広がったり。
等身大で生きる彼女たちが、これからも彼女たちの速度で悩んだり迷ったり、笑い合ったりしていけますように。そんな風に、人生で最も大切な日を、これからも幾つも積み重ねていけますように。それらの日々には、特に名前はないけれど。強いて言うなら、日常、だろうか。
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