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ビニールハウスのbluetokyoのレビュー・感想・評価

ビニールハウス(2022年製作の映画)
3.7
登場人物が、みんな、かわいそうなくらいに薄っぺらな、もう、ペラペラなんだよな。主人公のムンジョンは、あんな風に遺体をどっかにやってしまえば、なんとかなると思ったのだろうか。しかも自分の母親と入れ替えてしまう。こんな場当たり的で浅はかな対処方法がいかにも軽々しくて薄っぺらなのだ。でも、しばらくの間は、なんとかなってしまう。最初は、主人のテガンが、視覚障害者だから、気付かれないのかと思ってしまうわけだが、実は、視覚障害者でなくても、気付かなかったりして、とも思ってしまう。
テガンには、認知症の症状が出始めており、自分でも、誰が誰なのかという認識に自信が持てないからだ。というより、そもそも、あんな悪態ばかりついて攻撃的な妻には少しも関心なんてないんじゃないかな。

ビニールハウス住宅というのは、「ペパーミント・キャンディー」(2000年公開)にも登場していたかな。この映画の薄っぺらな人物造形というのが、ビニールハウスのペラペラな薄っぺら感とまったく同じだ。最後まで来ると、人物が薄っぺらなのではなく、社会や世の中が薄っぺらなのではと気付かされる。たとえば、知的障害者のスンナムは、母親がいなくなっただけで、施設にしか居場所がなくなってしまう。実に、単純で簡単な世の中の仕組みだ。
それでも施設を出ると、セックスを強要する小説家なる人物の家しか行くところがない。こっちも簡単、男はみな、セックスしたいだけの浅はかさであり、交尾したいサルみたいに行動したまでである。

自傷行為を繰り返すムンジョンは、病院での治療を止めて、あるグループセミナーに参加する。なぜかといえば、タダだからだ。動機もクソもない。同じグループセミナーに参加しているスンナムは、短絡的な回答に辿り着く。セックスを強要する小説家を殺せばいいのだ、という回答なのだが、タダのグループセミナーなら、相応しいのかもしれない。

タダか、カネを払うのかという選択は、その実、世の中、すべてはカネで回っているという、バカみたいに簡単で単細胞な現実からきているわけだ。カネがすべてなら、もう、なにも深く複雑に考えなくていいし、さしあたり、ちょっと先までのことが、どうにかなればいい、ということである。
これって、ムンジョン、あるいはこの映画の登場人物たちの行動様式そのままなのである。

最後に、やっと、ムンジョンは、マンションの一室を手に入れることができた。ビニールハウスともお別れだ。ということで、ビニールハウスに火を放つ。その中にはテガンの妻の遺体もある。みんな燃やして簡単に解決なのだ。
ところが、ビニールハウスには、ムンジョンが一緒に暮らしたいと願っていた息子もいたのである。それどころか、テガンは、無理心中をしていたりする。その場限りの簡単な解決を求めた先には、破滅が待っているのだ。
世の中も、簡単さや薄っぺらさを求めていれば、同じように破滅してしまうかもしれない。
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