【結構チャレンジング😁】
映画は、いきなり「オーメン」へのオマージュから始まる。
串刺しだ。
他にもダイビング首吊りや、首チョンパの代わりの胴チョンパもあるので、まあ、オマージュだらけといったところだ。
この作品は「オーメン」に繋がる物語とのことなので、良い結末でないはずなのは当たり前😁
だから、「オーメン」と差別化出来ているか、他に物語の展開を期待出来そうかなどに注目して観ていた。
(以下ネタバレ)
「オーメン」は1970年代の社会不安を背景にしていると「オーメン」のレビューで書いたけれども、「オーメン・ザ ・ファースト」は、宗教(カトリック教)の抱える二面性と、形骸化しても尚、新たな価値観に対応できない様などを中心に描いているように思う。
ウンベルト・エーコ原作の「薔薇の名前」も映画化されて、恐怖支配が当たり前のカトリックがアリストテレスの「笑いの章」を禁書として人の目から隠そうとする様を描いていたが、人々の生活に和気藹々とした笑いなどあってはカトリックの権威が失墜してしまうということなのだろう。
自由民主主義が台頭して、宗教的な絶対的価値を脅かした場合、どのようにすべきか、この作品は、何も手を打つことが出来ず、既存の原理主義に固執する宗教を皮肉って見せているように思える。
今日も新聞の記事に、ローマ・カトリックは性自認に苦しむ人であっても性転換を行うことに反対する姿勢を示していると報じていたが、こうした行動にどんな意味があるのだろうか。
映画の中で「男系」に過度にこだわる様も同様だ。
世界のあちこちで起こっている紛争に対してはあまりに無力だし、ローマ・カトリックは過去にスペイン内戦でファシズムを支持したことさえあるのだ。
映画はあくまでもフィクションだし、ローマ・カトリックにも二つのグループがあって、その中の片方が過激と云う設定なのだけれども、きっとカトリック信者は不快だろうななんて考えたりもする。
そして、エンディングは、”もしあるのであれば”という前提だが、明らかに次の作品への伏線として盛り込まれているように感じる。
双子の女の子が成長してダミアンを倒すとか……ね😁
取り敢えず、硬直化し形骸化した宗教に明るい未来は望めないのだ。
教会の建物が文化的価値を維持するだけで、単なる観光資源に成り下がることのないように祈るばかりだ。
ウンベルト・エーコによると「薔薇の名前」の最後のラテン語の詩は、元々あった詩の中のROMAをROSA(薔薇)に置き換えただけのイタズラみたいなもので、意味は、”ローマは昔から変わらず同じたたずまいだが、カトリックの支配するローマは共和政時代のローマとは全く異なる別のものだ”と皮肉を込めたレトリックとして表現したかったらしい。
「オーメン・ザ ・ファースト」は、ある意味、結構チャレンジグな作品だ😛