もずく酢

真珠湾攻撃のもずく酢のレビュー・感想・評価

真珠湾攻撃(1943年製作の映画)
3.5
ハワイがここまで大きく発展した理由の一つとして、サトウキビやパイナップルの生産が挙げられており、その人手不足を解消したのが、移民としてやってきた日本人である。15万人以上の日本人がハワイに住んで、雑誌を発行したり、日本語で書かれた看板があるお店が多く立ち並んでいた。坂上俊三博士の演説シーンでは、「国防負担の分担を引き受けたい。日本人移民のアメリカ合衆国に対する無条件の忠誠心を再確認する。しかし、私たちの忠誠を疑う人がいる。戦争が起こったら、それがどんな国でも必要に応じて命を捧げる。」という内容が演説されている。アメリカ人に対して、日本人移民が決して敵ではなく、むしろこの土地で生まれたアメリカ人と同等であると宣言している。それがどんな国でも命を捧げるというのは、たとえ日本が相手になったとしても、アメリカ人という立場で命を捧げる覚悟がある、ということが言いたいのであろう。しかし、日本人の中には、日本人のアイデンティティを持つため、日本人の学校を建設し、仏教、神道の宗教も持ち込むため、神社を建てたものもいる。このことから作中では、この面だけを見て、すべての日本人移民が不誠実なアメリカ人であるということを言いたいのか?というのに対し、アメリカに対して忠実な人と不忠実な人を分けようとしているわけではない、というシーンがある。しかしそれが事実であるのだ。日本人の全員が、坂上俊三博士の演説で述べられていたような、アメリカに完全に溶け込む行動をしていなかったことがわかる。その例として、移民のフリをして日本からスパイとしてやってきた人がいることが取り上げられていた。東京はスパイの行動がしやすいような作家などを送っていた、情報を少しずつ集めていて、それを定期的に日本へ送っていた。なぜ不審な段階で捕まえなかったのかという点がわからなかった。(私の理解力が足りないだけですが。)こういった心配な面もあるものの、ハワイには沢山の人種で溢れかえっており、多くの自然、綺麗な花や海が特徴的な、まさにみんなの楽園であった。アメリカの生活様式に独自の文化を織り交ぜて、カラフルな文化に発展していく。色々な国の人種がフラダンスを踊っているシーンはとても素敵だった。さまざまな人種が同じ踊りをそれぞれの文化を持って踊っている、とても印象に残ったシーンだ。しかし、1941年12月7日、オアフ島の真珠湾に停泊する太平洋艦隊に日本の攻撃機が奇襲を仕掛ける。爆破のシーンはとても衝撃的で、迫力があった。大きな被害を受けるものの、真珠湾攻撃後のハワイの復興はとても迅速であった。多くの民間人や海軍の職員たちが協力して働いた。一年もかからないうちに、海軍、陸軍の拠点は復活した。日本人が加害者であるこの事件によって、ハワイの日本人移民の生活はどのように変化したのだろうか。後半には、日系人であろう子供たちが空襲の訓練を受けているシーンがある。ここから、日本人も同じようにガスマスクを持ち歩けるようにされているので、アメリカ人と同等の扱いを受けることができたのだろう。これほど多くの日本人を全員収容するための大きな場所もなく、大きな労働力も失うことにつながるため、ハワイに住む日本人移民たちが大々的に強制収容されることはなかったと推測する。献血のボランティアや、戦時国債の購入などにより、坂上俊三博士の演説した内容にあったような信頼が十分に正当化された。日本人移民のアメリカに対する忠誠心が口先だけでなく、最悪な状況下でも揺るがなかったことがアメリカにとって絶大な信頼を得ることにつながったのだろう。