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女体(じょたい)のlingmudayanのレビュー・感想・評価

女体(じょたい)(1969年製作の映画)
3.5
冒頭から浅丘ルリ子がまともな人間でないことがよく分かる。浅丘が岡田英次との生活に退屈し、伊藤孝雄を求めるようになるといよいよ狂気の度合いを増していくが、岡田との口論の中で「男を求めることがどうしてもやめられない」と浅丘が強弁するシーンには力があり、ラース・フォン・トリアーの『ニンフォマニアック』を思い出した。一方で「まとも」側を体現する梓英子のビンタにも力強さがあった。個人的には浅丘にそれほど性的魅力を感じないが、だからこそ破れかぶれになっても自分の性欲に苛まれる女の痛々しさがよく表れていたと思う。岡田が「俺たち戦中派にとって戦後の人生は余り物」とか「若いときは戦争や家族のために人生を費やしてきたのだから、もう自分のために費やしてもいいだろう」とか言う台詞は印象に残った。荘厳な劇伴も良かったな。
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