ノリオ

HEROのノリオのレビュー・感想・評価

HERO(2007年製作の映画)
2.3
ほぼまったく動かないカメラ、登場人物たちに正対して構成される画面。

『HERO』の映画作りはドグマ真っ青のガチガチの規則性によって構築されている。

実はこれはかなり斬新だったりするわけで、TV的映画制作メソッドの一つの完成型なんじゃないかなと思う。

”見せない”ことによって表現することを放棄し、どんなものでも徹底的に映しまくるというその姿勢はむしろ清々しい。

ただ惜しむらくは、すべてのものを完全に見せるという斬新な手法が、”ただ見せている”という域を決して越えることがなかったということである。
あれだけ愚直に見せることだけに注力したならば、何か科学反応が起こってもよさそうなのだが、哀しいかな何も起こることはない。


今作は検察を「HERO」としているわけなのだが、離婚裁判中のメンタルがガタガタの検事を「プライベートがガタガタでも仕事をいい加減にするような人じゃない」と盲信するキムタク検事の危険度はかなり高い。


とりあえず寝ずに捜せば何かしら証拠が見つかるというTV版の法則はそのままに、彼らは被告人が有罪であるという確信のもと捜査をしている。


みんなが頑張ったし被害者の家族がかわいそうだし、なんらかの結果に結実するという描き方はある種とてもスリリングだ。


同じ支部内で、同じ検察官が不倫行為をしていたり、被疑者をどなりちらしたり、コミカルに描かれているがそれらがコミカルでないのは明白で、そんな彼らが画面一杯で清々しい顔をするだけでヒーローの仲間に入れるのだからこれほどお手軽なことはないだろう。


検察的、被害者遺族的視点のみで描く今作に、裁判の非情さと公平性はまったくといっていいほど描かれていない。

片側の視点のみで彼ら検察を「HERO」とする今作の危険度はかなり高く、見栄えのいい人間が真っ当なことを叫べばそれが正当なことのように聞こえるというとんでもなく恐ろしい社会派ホラーとするならばこれほど”恐い”作品もないだろう。


ちなみに衆議院議員(タモリ)が証人で裁判にサングラスをかけて出廷するという演出もかなりホラーだった。どうせなら眼帯とかすればよかったのに。
ノリオ

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