昔から大好きな攻殻機動隊シリーズをHuluで改めて鑑賞。
キャラクターの顔はテレビシリーズの方が好みだけれど、背景の美しさはやはり劇場版が圧巻。
原画展を見に行った時はその繊細さに眼と脳みそが喜び、ゴーストが震えました。
原作含め様々な情報を持っているのでそこを踏まえて観ると分かりやすい。逆に言えばこの作品だけ観ても分かりにくい部分が多い。
素子の義体は素子に言わせれば「ただの量産品」
(中身は9課のハイスペックサイボーグだけれど)
その素子の裸に目を背けたり、裸の素子に自分の服を着せ掛けてやるバトーの純情が愛しい。
人形遣いから素子への無理矢理のプロポーズで人形遣いは消え、人形遣いと素子は融合した。
自分のセーフハウスにいつ迄も居て良いんだぞと申し出るバトーに「もう少佐と呼ばれた女は居ない」とあっさり言い放つ素子。
自分に残された肉体は脳核のみで全身義体の素子は己の存在を虚無に感じていた。しかし人形遣いのゴーストは人間(生物)の肉体から生じたものでは無かった。ならば人格、ゴーストの定義とは…?
その人形遣いと融合し、自分(と人形遣い)が次の次元へシフトした時にアイデンティティを見出したのだろうか。
次に会う時のキーワードは2501だと言い残し去る素子。
これが最後では無いと言う素子の優しさではあるのだけれど…
物語はイノセンスへ続くのです。