青雨

ゴッドファーザーの青雨のレビュー・感想・評価

ゴッドファーザー(1972年製作の映画)
5.0
映画製作に関する裏話をほとんど知らず、また興味もないものの、それでも目にすることになる逸話から、フランシス・フォード・コッポラほど、映画界に生きることの浮き沈みを体現した人はいないような気がする。

製作に向かう熱量や成功と失敗、そして何度も破産に至った経緯なども含め、たんに波乱万丈というだけでは済まない何かが物語られている。

もちろん、巨匠と呼ばれる人たちのなかには、コッポラと同様、もしかするとそれ以上に浮き沈みの激しかった人もいたかもしれない。しかし、撮られた作品の向こう側に、撮った人間の巨大さを感じさせるものは少ないように思う。

そうした気配は、この『ゴッドファーザー』シリーズによく表れており、後にマーティン・スコセッシも中心的なモチーフとするマフィア(シチリア島に出自を持つイタリア系ギャング)を描きながらも、真に描き出しているものはもっと抽象度が高く、いわく言いがたい深淵をたたえた何かのように感じられる。

たとえば、スコセッシの監督した『グッドフェローズ』(1990年)が、パリの夜に花開いた印象派を思わせるのに対して、『ゴッドファーザー』は宗教的色彩を帯びた、重厚な肖像画を見るような思いがするように。

12歳の時にテレビで観たのが、この映画との最初の関わりであり、描かれたシーンにというよりは、その気配に嘔吐した思い出がある。一般的には、思春期と呼ばれる心と体の急激な変化のなかで、もしかすると僕の自意識が痙攣を起こしたのかもしれない。それに匹敵するものは、14歳の時に読んだフョードル・ドストエフスキー(1821-1881年)の『罪と罰』くらいしか思い出せない。

そうした意味で、はたしてこれは映画なのだろうか?と思うことさえある。10代の僕に、表現がもつ強度とはどういうものかを『ゴッドファーザー』と『罪と罰』は教えてくれた。また、それぞれの作品よりも優れたものを数多く経験した後でも、ここに描かれる強度を超えるものはほとんどないように思う。

ここに描かれたものが何であるかを、僕は今でも明瞭には語り得ない。けれど少なくとも、ドン・コルレオーネ(マーロン・ブランド)やマイケル(アル・パチーノ)を通して語られる、イタリア系ギャングの血統や暴力でないことだけは確かだろうと思う。
青雨

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