山浦国見

名探偵登場の山浦国見のレビュー・感想・評価

名探偵登場(1976年製作の映画)
3.7
億万長者トウェインから「あなたを晩餐と殺人に招待します」という招待状を受け取った5人の探偵たちが、霧の立ちこめるビクトリア調の豪邸に続々集められた。しかしホストから“時計の針が真夜中の零時を告げる時、このダイニング・ルームで誰かが殺されるだろう。この殺人事件を解いた者には世界一の名探偵の名誉が与えられる”と告げられ、邸の出入口と窓は全てロックされてしまった。一体犯人の目的は……?

元ネタの古典推理小説とキャストが分からないと、多分恐ろしくつまらない。

ふざけたタイトル「Murder by Death」から推して知るべしだが、ニール・サイモンらしい皮肉たっぷりのブラック・ユーモアをマトモに捉えたら、そりゃ拒否反応も出るだろう(^-^;;;

ミステリー 密室劇 コメディ

この3つの要素が揃った作品というのは、それほど多くないような気がする。

集まった5人は、いずれも映画や小説で著名な探偵のパロディになっている。

☆ミロ・ペリエ(ジェームズ・ココ)は、エルキュール・ポワロ
☆シドニー・ワン(ピーター・セラーズ)は、チャーリー・チャン
☆ディック(デイヴィッド・ニーヴン)とドラ(マギー・スミス)のチャールズトン夫婦は、ニックとノラのチャールズ夫妻
☆サム・ダイヤモンド(ピーター・フォーク)は、サム・スペード
☆ジェシカ・マーブルズ(エルザ・ランチェスター)は、ミス・マープルのもじりになっている。

因みにチャーリー・チャンと言う中国人探偵は、戦前には日本でも人気があったが、地味なので戦後は翻訳もされず、忘れられてしまったらしい。

作品を創る技法に“パスティーシュ(模倣)”というのがある。ある作品や作家の手法、キャラクターを借りて新しい別の物語を描く方法。当然観る側の原作(あるいはキャラクター)の知識・理解度によって作品の面白味は左右される。ものまね名人の芸を、元ネタとなっている人物を知らずに観てもあまり面白くないのと同じ。

また、「冷血」を書いた作家のトルーマン・カポーティが主要な役で出演している。

執事の名はジェームズサー・ベンソンマム(Jamessir Bensonmum) 。名前にSirとMa'amがついている。Sirは目上の男性に対する敬称。Ma'amも同様で、目上の女性や召使いが女主人に呼びかける時に使う。元の形は madam で、真ん中のdが抜け落ちた言葉。英国では王族の女性への敬称でもある。

映画の中で召使いと主人の会話を聞いていると、必ずといっていいほど召使いは最後に“~, sir”“~, ma'am”と敬称をつけて答えている。つまりこの執事の名前には「主人への敬称」が付けられているのだ。召使いなのに。

本作は、名探偵に突き付ける挑戦状、次々と湧いてくる新事実など、ミステリーの教科書的作品とも言える。

ニール・サイモンは予測不可能な緊迫感を追求するのではなく、敢えて王道を選び、それをシニカルに描くことによって笑いを生み出している。

また、秘書や付添いなど、探偵がそれぞれペアになって登場しているのは、運動会の二人三脚ならぬ推理大会の二人三脚。5人の輪を二重にしたことによって、さらに会話劇の面白さをアップしている。

後半、突然降って湧いてくる新事実の連続。

「 正体は○○○ 」
「 いやいや実は○○○ 」
「 いやいや、本当は○○○ 」と、この典型的パターンが諄いほどに重ねられるのは、ニール・サイモン流のアイロニーだろう。ニール・サイモンは、登場人物だけでなく、推理という流れさえも、パロディ化している。よってこの映画は、推理ものとして見るよりも、登場人物の個性(ドヤ顔のオンパレード)や会話の応酬、小気味良い展開。そんな部分をアトラクション感覚で楽しむ作品。

序盤から中盤にかけてのミステリアスで、それでいてブラックユーモア溢れる展開には引き込まれるが、ラストの真相解明ははっきり言って茶番劇で、まさに三流推理小説の下剋上ともいうべき内容。だがこのようにミステリー愛好家の嘆きをサイモンが絶妙にパロった脚本と割り切ってみると、案外面白く見れるかも知れれない。

それはさておき、この映画の別の見所はやっぱりこの豪華キャストの火花散る演技。出演者全員、心底楽しんで演技しているように見受けられる。特にアレック・ギネス。サーの称号まで頂いたほどの名優が、彼がこのような映画に出演するだけでも奇跡的なのに、目の不自由な執事をまさに楽しみながら熱演している。その彼に触発されたかのように、フォークもセラーズもニーブンも、自分の持ち味を存分に発揮した名演を見せている。これこそオールスターキャスト映画の互いを意識した演技の相乗効果と言えるのかも知れない。

この作品、ストーリーで見る映画ではなく、素晴らしいキャスト達のそれぞれの持ち味を活かした演技の妙を楽しむ作品。実に何とも云えない不思議な感覚に包まれる映画だ。

フォーク演じるサム・ダイヤモンドが最後に「寂しくなったら口笛を吹きな」という台詞を吐くが、これは「キー・ラーゴ」の中でローレン・バコールが言った台詞のパロディになっている。

当時作られたがお蔵入りになった別エンディングでは、ホームズとワトソンまで登場させたが、無名の俳優に美味しい所を持って行かれるのはいかがなものか?との声に、バッサリとブッた斬られてしまった、と言う経緯もある。

この映画自体、実はミステリーへの挑戦になっている。犯人の動機は、最後まで隠されているのだ。ミステリーにおいて、動機はかなりの比重がある。いや、動機さえわかれば犯人も分かってしまうと言ってもいいだろう。この何故?を最後に犯人が語る場面は、粗悪なミステリー小説を読まされた読者の意見を代表している。

しかし、それでも犯人の本当の正体は分からず、犯人が分かるのは、最後のワン・カットだ。この犯人の正体を見て、観客は「ええ~っ!?」と思うだろうが、実は映画を丹念に見て行くとちゃんとヒントが隠されている。

余談だが、後年製作の、殺人ゲームへの招待が、この映画と似た雰囲気を帯びている。
山浦国見

山浦国見