歪み真珠

恐怖分子の歪み真珠のレビュー・感想・評価

恐怖分子(1986年製作の映画)
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エドワードヤンは人間が崩れていくさまを撮るのが本当にうまい。いわゆる「ふつうの」思考状態から外れていき、静かに壊れていく様子を音楽もなしに役者とその画面構成だけでやってのけてしまう。

そう、画面構成。私はエドワードヤンの映画ならば、たぶん誰が監督かを知らされずともその映画を見たら彼だとすぐにわかる自信がある。利き酒ならぬ、利き映画。それは当然、私がすごいんじゃなくて、ひたらすらに彼の力。唯一無二のものを撮れる人だ。
人がその空間を立ち去った後に残る不在の濃さ。暗闇と光の転換、灯りがつくとそこには今まで存在しなかった(目に見えなかった)空間が現れる。物と物の間に見え隠れする人の顔。
空間の認知能力がとても高いんだろうな。図形的な感覚も。外に開いた窓に反射で遠くにいる高層マンションの窓を拭きをする人がうっすら写るところなんて、もう。(牯嶺街少年殺人事件のときも似たようなことをそれもペンキの塗られた白っぽい扉を使ってやってたねぇ。あれも凄かった)

真っ暗闇の中で何かを壁に貼り付け続ける少年。巨大なモザイク画のような写真を見たとき私もシューアンと共に失神するかと思った。
少しずつ精神がずれていくリーチョンがおそろしくて見ていられなかった。夕陽はいつものように病院を染めるのに。きっかけなんてそこら辺に転がっている。私が今のとこ大丈夫そうなのはただの運だ。こわい。静かにずれていってしまう。いろんな要素が噛み合って違う方にじりじりと自分でも気づかぬまに進んでいるのかもしれない。悲劇は突如起きない。きっかけは一つじゃない。

「煙が目にしみる」で繋がれる二つの世界。自分がこちらに立っているという自信はある?