うめ

紙屋悦子の青春のうめのレビュー・感想・評価

紙屋悦子の青春(2006年製作の映画)
4.0
 ようやく鑑賞。原作は松田正隆の戯曲で、私は『海と日傘』を本で読んだことがあるが、今作もそのときに受けた印象の通りだった。穏やかで、優しくて、美しい。どの場面もそんな言葉がぴったりだ。その雰囲気を壊すことなく表現したのが、黒木和雄監督だ。(ちなみに、今作は黒木監督の遺作である。)『父と暮らせば』のように長回しを用いて登場人物たちの会話にスポットを当てる。とてもシンプルゆえに、それぞれの人物の動作にも目が向くようになる。基本的に戦後の病院の屋上と戦中の家という二つの舞台しか登場せず、とにかく会話で話が展開するのがいかにも戯曲らしいが、長回しで繰り広げられる会話で重要な部分は、ぱっと人物の表情を正面から撮るように画面が切り替わる。その瞬間のタイミングがとても良いと思った。
 舞台は1945年春の鹿児島。紙屋悦子と永与少尉との交流を中心に描いている。戦中、実際に鹿児島があんなに穏やかだったかどうかはわからないが、会話の節々に戦争の匂いを感じられる。戦争映画と言えば、空中戦、地上戦、空襲…残酷なシーンが多い。もちろん実際にあったことを伝えるために必要である。だが、そうしたシーンを直接見せることだけが、方法でない。今作には、戦争の場面は全く出てこない。ましてや食卓でされる会話にはちょっとした笑いすらある。穏やかに見える日々。そこにふっとよぎる「戦争」という現実はとても重い――。あえて描かないからこそ見える戦争の本質や影響、空気感のようなものが伝わる場合もあるのだなと感じた。戦争が苦しいものであるのは事実だが、それを終始感じて日々暮らすことはつらいはずだ。お茶を飲んで、昔の思い出話をして、くすっと笑う。そんな一瞬が美しくもあり、哀しくもあるのだ。(私はらっきょうと赤飯の件で、紙屋ふさが言うセリフがとても印象的だった…)
 あと、キーポイントとなるのは「桜」と「海」だろうか。紙屋悦子が暮らす家からは海は見えないはずなのに、聞こえる穏やかな波の音。婚約を申し込んだ永与少尉が言ってくれた言葉に心安らぐ悦子の心を表していると同時に、沖縄奪回のために飛び立っていった明石少尉の姿をも表しているように感じた。穏やかにすべてを飲み込む海。それを老年になっても鹿児島で聴くのは、ある意味悦子の宿命なのかもしれない。
 ちなみに、なんとなく小津安二郎の映画を思い出した。固定したカメラで、棒読みのセリフを言う役者(ちなみに、先日平田オリザが言っているのをたまたま聞いたのだが、日本語は抑揚が少なくどうしても平坦に聞こえてしまうそうで、小津安二郎は何度もリハーサルを重ねてカメラの構図までも考えて演技指導をしたそうな。これもまたなんとなくブレッソンを思い出します。)…今までの日本の映画の歴史の中で形成されてきた様式なんだろうなぁと思った。削ぎ落とされ、シンプルで簡潔。こういう映画もとても素敵である。
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