春男

さよならをもう一度の春男のレビュー・感想・評価

さよならをもう一度(1961年製作の映画)
3.8
若くして1度離婚した後、現在は装飾デザイナーの職につき経済的に自立した39歳の独身女性ポールが主人公。

互いに束縛せず、同棲もせず、お金の貸し借りもなし、という約束のもと、同じ独身の中年男性ロジェと交際を続けてきたポールはある日、若く心優しい25歳の青年シモンに出逢う。ポールもロジェと同じく何をしても良いという約束だが、ロジェの気まぐれさに寂しさを感じ、でも約束のため言えず孤独だったポールは、ロジェを愛しながらもいつしかロジェとは正反対の繊細なタイプで、自分に積極的にアプローチしてくるシモンに少しずつ惹かれていく。時には寂しさに涙しながらも長い関係を築いてきたロジェか…、裏表のないストレートな気持ちで自分を求めて来る年下のシモンか…、ポールの心は揺れ動く。それまでは仕事中心で他の若い女達と浮気をし、ポールをあまり省みなかったロジェは、シモンの存在を知り焦る。だが、約束で深入りせず、今の若い浮気相手のメージーとも関係を続ける。やがて、ポールとシモンは同棲を始めるが…。(Wikipediaより引用)

「ブラームスはお好き」


『悲しみよこんにちは』というタイトルでも納得がいくくらい、その映画を観た後と似た喪失感。

レストランでのダンスシーンは主人公のポールは『悲しみよこんにちは』のラストのセシルと同じ顔をしていた。

確かにフィリップは若い。
愛する人のために仕事はすぐ放り出してしまうし、フィリップにとって愛が1番なのだ。
途中仕事をきちんとしなさすぎて、とてつもない嫌悪感を感じたけれど。でも、ポールを愛して別れてフィリップはまた一歩大人になった気がする。いや、フィリップのことは正直あんまり好きにはなれなかった。

ポールは何かを得て幸せになった後空っぽになり、何かに気づく。それが真実であって、また空っぽへと進む道だった。
ただ、ポールにとってはそれが運命というかロジェという自分だけを愛してはいないかもしれないけれど自分が愛する人が必要なのだ。


フィリップの母のセリフで、

「フィリップは、世界を深く愛し深く憎んでいる、躁鬱病である」とあったが、
世界を深く憎み愛している人が躁鬱病と言われるのであれば、それはどんなに悲しいことなんだろう。

サガンが"原作を超えた映画"と称するのも
少しわかったラスト。
サガンの世界でよかった。

時々、『サガン、悲しみよこんにちは』の映画がよすぎて、全部のサガンの小説の映画化をシルヴィテスキューが演じたらどうなるのであろうとか思っててしまう。
春男

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