CATHAT

危険な関係のCATHATのレビュー・感想・評価

危険な関係(1988年製作の映画)
3.9
アンモラルへの讃歌。

フィクションは、人間の善を切り取ることができるものである一方、嘘とか悪とか、人間の悍ましさを美しく魅せるものでもある、ということを前提にして受け取らなければならない。

モラルがどうのこうのと言うなら、それは現実の話。この作品 (フィクション)においての価値基準は、善か悪かじゃなくて、美しいか醜いか。それがメルトゥイユ夫人の言うところの「勝つか、さもなくば死か」の原則の根底にある。

バルモン子爵もメルトゥイユ夫人も、“恋”が美しく愛は醜いもの、とゲームに興じる。

最後に勝った者が美しく見えるのか、美しい者が結局勝利したのか。残された者が、如何に醜く見えるのか。

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キャスティングについて・・・は、やはり、今となっては写真でしか拝むことのできない舞台版のアラン・リックマンを主演に据えてほしかったというのが彼のファンとしては正直なところ。恋に狂っていくマルコヴィッチの演技は良かった。良かったけれど、マルコヴィッチが100点満点中100点なら、アランが演っていたら、きっと1000点満点中5億点ぐらいには到達していたのじゃないか・・・とどうしても考えてしまう (完全な贔屓目)。

マルコヴィッチのアプローチには、少年のような純真さや愛嬌を感じたし、それがマルコヴィッチなりのバルモンの魅力に繋がるものだったけれど、アランだったらきっと、もっと愚かに、もっと美しく、醜く、バルモンを演じてくれたと思う。もう、本当に今となっては分からないけれど。どうしてこのキャスティングになったのか。アランもインタビューで「 (主演を取れなかったことについては)触れないでくれ」と言ったそう。

グレン・クローズ、ミシェル・ファイファーのキャスティングも心残りがある感じ。もちろん演技に関しては申し分無い。特に決闘の後〜クライマックスのメルトゥイユ夫人の演技は、グレン・クローズだからこそという感じがした。が、どうしてもどうしても、社交界の“華”である“メルトゥイユ夫人”としては、説得力に欠けるキャスティングだった。社交界の“ドン”とかだったら分かるんだけれど・・・。

セクシャリティの在り方が複雑になってきた昨今では、もうこういう性についてアンモラルな映画って作れないのかな、と思いつつも、また是非大満足なキャストでやってほしいとも願ってしまう。

【メルトゥイユ夫人】
ケイト・ブランシェット

【バルモン子爵】
マッツ・ミケルセン

【トゥールベル夫人】
エミリー・ブレント
 もしくは
アン・ハサウェイ

【セシル】
リリー・ローズ・デップ
マッケンジー・フォイ

【ダンスニー】
ティモシー・シャラメ

とか・・・
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