歪み真珠

2001年宇宙の旅の歪み真珠のレビュー・感想・評価

2001年宇宙の旅(1968年製作の映画)
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映画を見て腰が抜けるなんて体験をはじめてした。
喉がカラカラに乾いて手足が震える。生命の維持装置が故障したかと思った。危険すぎないか。ドラッグを取り締まるならこの映画を取り締まった方がいい。軽い臨死体験だ。神を見たんだ。
映画を見て腰を抜かすことなんて後にも先にもこれだけでしょうよ。

やっぱり映画に順位をつけるなんてナンセンスだ~~~とのたうちまわった。

町山さんの本だとか、その他ちまたに溢れる解説には元々ナレーションがあったとか、放り投げた骨と宇宙船のシークエンス、実は宇宙船じゃなくて核ミサイルだとか、、色々と書かれているんだけど、この際そんなことどーーーだっていい。私がこの映画をみて、感動(衝撃といった方が正しいかな)したそのことが重要なのである。作品は作者の手を離れたらもう、その作品でしか評価されないので。それが創造者の覚悟でしょうし、こちらはその覚悟に敬意を持たないといけない。(とはいっても原作を読んでいるので、あんまり偉そうなことは言えない)

キューブリックさんが、「説明を入れてしまうと映画が持っている魔法が損なわれてしまう」と我が儘を断行してくれたおかげで、生命の危険を感じるレベルで魔法にかかったよ。ありがとう。


冒頭から何度か映る月と地球と太陽が一直線に並ぶ月食のシーン。点と線の物語なのかな(松本清張ではない)
猿、人、骨、地球、太陽、月である点と、時と空間(無限に続く宇宙)。
それを繋げるHALを乗せた宇宙船。
個人的に好きなのはHALの目。何度も映る印象的なシーン。あれはたぶん太陽の投影。


冒頭にも書いた、観賞後の独特の感覚の原因を考えた。きっと、感情で理解するよりも、先に理性が理解したから脳が混乱したのだと思う。もうちょっと詳しくいうと、「あり得ない!」って感情は叫ぶのに、この映画の世界ではその「あり得ない」が、理論が、完璧にほつれなく成り立っていたから。理性が先に理解した。
自分の理解のキャパを遥かに越えた理論に出会ってしまい、しかもそれが納得せざるを得ない完璧なものだとこうなるのね。

となると、映画監督は創造者に似てる。現実での「あり得ない」を映画の世界では完璧に成り立つようにする。しかも、神様と違って七日間では創らないし、音響も衣装も一人でやらないからより精度は高い。でも私が思いつく創造者的な監督ってクリストリッツァとキューブリック、コッポラ(父の方)、フェリーニかなぁ。コッポラとフェリーニはわりと現実世界の理論側に身を置いてる印象がある。この二人は比較的人間が好きなんだろう。
その監督が人間好きか嫌いかはその作品を理解するときの鍵だよなぁ。蓮實さんが対談で「キューブリックは相当な人間嫌いだろうから」と言ってたな。納得。
もうひとつの原因は、脳がよろこぶシンメトリーの画面が途中でめちゃくちゃな破れ方をするからですよね。その破れと同時に今まで基本的に重苦しかった沈黙の音が解放される。(これもまたこの映画の傑作たる所以だろう。沈黙の音、無重力の音を私は聞いた)


高校生のころ、小さなテレビ画面でこれを見て、よくわからん、眠いと思っていた私に伝えたい。あなたは六年後同じ作品を見て衝撃のあまり腰をぬかすことになるんだよ、と。
あそこには人智を越えた、神としかよべない何かがいた。