映画おじいさん

京化粧の映画おじいさんのレビュー・感想・評価

京化粧(1961年製作の映画)
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一見、芸者に惚れてしまった世間知らずの男と、その芸者を取り巻く世界を描いた何の意外性もないメロドラマに思えたけど、よく考えたら常識がねじ曲がったもの凄い物語だとワンクッション置いてジワジワきました。これもまた埋もれた傑作。

絶倫・佐田啓二は知り合ってすぐにコマした芸者・山本富士子に「君を好きになっていいか?」との殺し文句を下調べナシに放つ。
山本を芸者から足を洗わせようと東京から送金するも、その金は山本のヒモで売れない画家・佐藤慶に流れていく。

爬虫類顔の佐藤慶も間違いなく絶倫。山本富士子、よほど好き(もの)なんだなあと下品なことを考えしまうのも致し方ないでしょう…。死んでしまったという前のダンナの精気が吸い取られて干からびた姿も目に浮かぶ。ともかく山本は今の言葉でいうクソビッチ。

佐藤慶が描いてみせた肖像画を「ふん、絵空事よ」と山本富士子が一蹴するシーンが素晴らしい。その時、佐田啓二から金を巻き上げる話を佐藤慶としていたけど、佐田にとってのその状況は絵空事どころか地獄のような現実。

佐田啓二から金を引っ張りたいもそんなに持っていないし、新しいパトロンが欲しいけど佐藤慶が邪魔。そんな時に佐藤慶がサドンデス。そのことを喜んで話す山本の母親・浪花千栄子と清川虹子はキチガイばばあだ。

そもそも娘の”女”を利用して貧乏から抜け出そうとする浪花千栄子の根性は海外(先進国)の人には理解不能のはず。(中略)。ここで描かれる芸者制度はズバリ人身売買ですもんね。

祇園で育ったんだから祇園を出て分からんよその世界に行ってもどうせ祇園に戻ってきてしまう。だから祇園を出ようなんてことは始めから考えるのも無駄。という理論をばばあが当たり前にとくとくと話しているところも歪みまくりでおののいた。

田舎の役所に行くと職員が勤務中に堂々と碁を打っている(←織田政雄の背景で)とか、なにげない描写もお見事。

この映画の時代設定がイマイチ分からないようにしていたのはワザとかな? 電話が受話器が一体型じゃない超旧式だったのに京都に電車が走っていたし。
*(メモ)京都駅でのひらがな表記が「きゃうと」だった。

そんなことと、山本富士子がトンデモないクソビッチなのに悪い人間のように描かれていないことから、この映画は佐田啓二の妄想、芸者にフラれたけど真相はこうであって欲しいという世界を描いたものでは。時折入るナレーションも佐田啓二だし(=佐田主観)。

なんてことも考えました。。

「騙したり騙されたりが私たち(芸者)の人生や」と分かった口をきいて、呉服屋の大泉晃を手玉にとる山本富士子の妹分の芸妓も生意気ながら、その言動が容姿以上に可愛らしくて良かった。もちろんその姉妹分の岩下志麻も。