『ポチの告白』と聞いてどのような映画をイメージするだろう?
主演が菅田俊と聞いて、てっきり無骨な中年男と飼い犬のヒューマンストーリーだと思っていた。
しかし『ポチの告白』はそんな甘っちょろい映画ではない。
タケハチこと竹田八生刑事(菅田俊)は組織に忠実過ぎるがゆえに、気付かぬうちに警察犯罪に足を踏み入れてしまう。ある日、警察犯罪を探る草間(川本淳市)と北村(井田國彦)を社会的に抹殺するように命じられたタケハチ。しかし5年後、二人はタケハチが絡んだ警察犯罪の実情をインターネットで流し始める。
日本人はとても寛容だ。
警察に不祥事があっても、それはあくまで“一部”の警官のことで、まさか警察全体が汚職まみれだなんて思ってもいない。
劇中でも少し触れられているが、「交通安全特別交付金特交金」(いわゆる「特交金」)は、年間800億の予算が計上されている。主な使用目的は、歩道・ガードレール・道路照明・信号・標識などの交通安全施設の設置や管理なのだが、この収入源のほぼすべてが交通違反の反則金で賄われているのである。
毎年の「特交金」の予算はもちろん前年度に組まれるわけで、反則金の回収がノルマ化しているのは言うまでもない。
本来ゼロを目指さなければならない交通違反を、あらかじめ“当て”にしているのである。
そんなことはどう考えたっておかしいが、ほとんどの人が疑問を持たず反則金を納付しているの現状だ(ちなみに反則金の納付率は95%より下回ったことはないそうだ)
交通違反一つとっても日本の警察がおかしいことがわかる。
『ポチの告白』は衝撃のシーンの連続である。
『踊る大捜査線』のようにいい警官もいれば悪い警官もいる、というようなものではない。
最初から警察が“悪いもの”として描かれている。
観客はニュースなどで見たことのある事件を断片的にフラッシュバックしていく。
次第に、普段感じている小さな違和感が、大きな疑念に変貌していくのである。
これほどの恐怖があるだろうか? それはいつ何時、我々に降り掛かってくるかわからないのだから。
監督の高橋玄は憂いている。
だから『ポチの告白』を作らなければならないと感じたのだろう。
その強い信念はラストの6分で描かれている。
主人公タケハチの告白。演じる菅田俊にタケハチとしての自我は存在しない、かといって菅田俊その人でもない。
まるで何者かに取り憑かれたかのように彼は“告白”するのである。
彼の“告白”は高橋玄の“告発”なんだろう。
強い使命感がなければ、これほどの作品を作り上げることは不可能だ。
3時間15分の日本のタブー。
決して目を逸らしてはいけない。