パワードケムラー

サラマンダーのパワードケムラーのネタバレレビュー・内容・結末

サラマンダー(2002年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

 ドラゴン描写において世界を変えた映画史に残る大傑作であり、その後の作品にも影響を与えた映画史に残る作品だと思います。この作品以前にも『ドラゴンスレイヤー』など、従来のドラゴン像の変革に挑んだ作品はありましたが、この作品以上に成功したものはないでしょう。

 この作品のストーリーについて薄いという声もありますが、この物語は『黄金伝説』における「聖ゲオルギオスの竜退治伝説」を下敷きにしたもので、それを理解するとさらに楽しめると思います。この点は、そこら辺の崇敬などが浅い日本人には響き難かった要因かなと思います。

 「聖ゲオルギオスの竜退治伝説」は生贄に捧げられた乙女を流浪の騎士ゲオルギオス(各国でジョージ、ジョルジュ、ゲオルグ、ホルヘなどと呼ばれる聖人。ヨーロッパでは騎士道の体現者、軍や警察、各国の守護聖人として知られる)が竜を退治して救うというヨーロッパにおけるオーソドックスな竜退治伝説の基礎となったものですが、本作品では騎士を野蛮な軍人「ヴァン・ザン」とするなど現代的な変更がなされています。

 彼ら傭兵たちはドラゴンに怯える街へ訪れ、それを救おうとしますが、若者たちを勝手に徴兵し、物資を要求する姿は横暴そのものです。しかし、聖ゲオルギオスも竜の火を吐こうとする口に槍を投げ込んで死に体まで追い詰めた後、その首を佩剣で落とす代わりに街の人々に改宗を迫っていますので、それの終末世界的解釈だと思われます。これはヴァン・ザンもドラゴンと対となった「終末世界の脅威」であることを意味しているのだと考えられます。

 それに対して、乙女の立場を担うのは街の指導者である青年「クイン」になります。彼はリアリストで暴力的な軍人たちとは異なり、平和的な指導者として描かれています。ですが、その努力虚しく治世にも限界が来ており、退廃的な思想と「ドラゴンと戦うべきだ」というタカ派が台頭し始めており、これによって物語は原題である「炎の統治」へと進んでいきます。

 人間側に対し、ドラゴンたち側にも過去の伝説の現代的解釈が見受けられます。ドラゴンたちは火を吐く直前、エアロゾル状に燃料を噴射したところに爆薬を撃ち込むという手法で倒されます。これは前述の通り、火を吹こうと口を開いた隙に槍を投げ込んだ「聖ゲオルギオスのドラゴン退治」の「現代的な解釈」であると考えられます。

 そして、このドラゴンたちは一頭の雄を中心に数千の雌の群れををつくっており、その雄を倒すことが物語の中心なのですが、その群れの様子は「帝国」を思わせます。これらは、ある意味で聖書の中で描かれる暴力的ばローマ帝国の姿をとっており、人々は“皇帝”を倒すことですべてを終わらせようとするのです。この点は本編中でも比喩的に描かれており、物語の中ではスターウォーズEP5を子供たちに演劇で見せる場面でも見て取れます(スターウォーズEP4~6も“皇帝”を倒す物語である)。

 ジョージ・ルーカスがスターウォーズを通して英雄譚(もしくはお伽話)の再創造を試みたように、この作品もドラゴン退治伝説の再創造を試みたと考えられます。

 この他にも「聖ゲオルギオスのドラゴン退治」の「現代的な解釈」は物語の随所で見られ、一番は先ほども書いた軍人たちがドラゴンの牙を見せて徴兵を迫る場面でしょう。これは正しく聖ゲオルギオスがドラゴンの死と引き換えに改宗を迫った場面の「現代的な解釈」だと考えられます。元の伝説だと美談と考えられている場面も、現代の視点で見れば横暴かつ暴力性に満ちたものであることが理解できます(彼の死によって、その思想が広まる部分も彼の殉教の説話と重なります)。

 また、前述の二つの毒腺から可燃物質をエアロゾル状に噴射し、着火するという炎の吐き方は『ハリー・ポッター』シリーズや『ゲーム・オブ・スローンズ』シリーズにも影響を与えており、特に後者は本作で用いられたカメラアングルや描写を多用しており、その影響は“火を見るよりも明らか”です。

 これは余談になりますが、よく指摘される「核で負けなかったドラゴンが通常攻撃でなぜ負けたのか」という点は「ドラゴンは耐久力で勝ったのでは無く、その繁殖力で勝った。その理由は居場所の掴めない雄と大量繁殖して“地に満ちる”雌の存在であり、雄の居場所を突き止めて殺すことで繁殖を抑えることができる」ことが本編中でも解説されているのでちゃんと観てください。

 長々と書いてきましたが、本作は『サラマンダー』以前と以後でドラゴンを語ることができるほど影響を映画界に与えた大傑作であり、ある意味で“再創造”に成功したと考えられます。