ナガサワ

戦場にかける橋のナガサワのレビュー・感想・評価

戦場にかける橋(1957年製作の映画)
4.0

日本のテレビ番組「プロジェクトX」をめちゃくちゃドラマチックにしたような映画だった。
もっと酷く日本人が描かれるかとおもったら、かなり理性的に描かれていて意外だった。

この映画は前半と後半に分けることができる。
前半は斉藤大佐とニコルソン大佐の対立。
後半は橋の完成と爆発。

前半は将校であろうと橋建設に駆り出そうとする斉藤大佐と、ジュネーブ条約を盾にそれを拒むニコルソン大佐の対立だ。
ニコルソン大佐は営倉にぶち込まれてしまうが、橋の建設が期限に対して一向に進まない状況から斉藤大佐が根負けし、2人の対立はニコルソン大佐が勝利する。
勝利とは日本人の指導では期限内に橋を建設させることが不可能だと認め、イギリス将校に建設作業員としてではなく指導者として橋を建設させることだ。
斉藤大佐にとっては相手の要求を認め、さらに自分の能力の無さも認めざるを負えないというなかなか可哀想な負け方だった。
咽び泣いている斉藤大佐が結構悲しい。
斉藤が結構可愛く描かれている。
心配でよく外の様子をコソコソと伺っているが、誰か来るとキリッとした上官の顔になる。
普通はこんなことさせたらコメディー的なキャラになってしまいそうなものだが、軍人としての使命やプライドを保とうとする1人の人間として描かれているのが凄い。

イギリス将校が指揮を取ることで橋の建設は一気に加速する。
しかし、もともと無理なスケジュールであったためニコルソン大佐は将校や軽症の人にも作業をさせるようになる。
もともとは将校に作業をさせようとすることに対して斎藤と対立しており、将校が作業をしないなら病床者を働かせるといった斉藤の交渉に対しても、「それは脅しである」と非難したはずのニコルソンが自ら将校と病床者を働かせている。
この意識の変化はなんだろうか。

橋を作らされると橋を作るの違いだ。
橋を作らされるために将校まで働かされるのは、法律を無視するような文明度の低いから日本人に屈することであり、それは戦場で敗北したイギリスが収容所でも敗北することを意味する。
しかし橋を自ら建設することは、一度は日本が失敗した橋建設をイギリスが完成させることでイギリスの文明度の高さを示すことになる。
結局橋は完成しませんでしたじゃ日本と同レベルだ。
だから何としても橋は完成させなければならなくて、そのためならジュネーブ条約を犯して将校も病床者も働かせる。
戦場で負けたイギリスは収容所では勝たなければならい。
またイギリス主導による橋の建設は、日本の指導でグダグダになっていたイギリス兵の統率の回復の意味もある。
でもこれらの理由は実は建前であって、ニコルソンにはそれとは別の本音があった。
それは「死ぬまでになにか有意義に生きた証拠を残したい。」という個人的ものだった。
この本音を打ち明けるのが敵国であり対立しまくっていた斉藤大佐でたり、この2人に生まれた静かな友情が良い。

橋は無事に完成するが、アメリカ兵によって爆弾が仕掛けられる。
爆弾に気づいたニコルソンが爆発を阻止しようとする。
しかし日本にとって有益な橋を爆破するのはイギリス軍の戦況を有利に進めるものであるため、爆破するのが軍人として正しい行いだ。
結局はニコルソンによって、イギリス人の文明度を示す象徴であり、有意義に生きた証拠でもある橋を爆発する。
「私はなんのために…」というセリフがとても印象的だ。
そして映画は終わり。

この映画の面白いところは、戦争映画でありながら戦意高揚、反戦、命の尊さなど戦争映画の定番をテーマとしなかったことだと思う。
戦争という舞台で国を背負った軍人としてのプライドや決断をめぐるヒューマンドラマだ。
とても面白かった。