maria

(500)日のサマーのmariaのレビュー・感想・評価

(500)日のサマー(2009年製作の映画)
5.0
運命はあると思うか?という答えのない会話の中でおすすめしてもらい視聴。
結果、
"偶然を選び取り行動次第で運命にすることはできる"に落ち着いた。
(ある意味、そうだよなぁと再確認。)

ふたりの恋がうまくいっている時と
そうでない時が対比して描かれていて面白かった。

恋をすれば
"不可能が可能になる
生きがいを感じる"
というトムが街中を踊り歩くシーンは
明るいミュージカル調で好きだった。

あんなに幸せそうだったのに
確かに"好き同士"だったふたりを
何が結局"友達"止まりにさせてしまったのか。

トムは運命を信じ、
運命に委ねすぎていたのかもしれない。
エレベーターで声をかけたのもサマー、
カラオケの後友達にならない?と言ったのもサマー、
コピー機の前でキスをしたのもサマー、
喧嘩をして先に謝ったのもサマー。
トムが運命だと信じていたものは
サマーの行動ありきだったのかもしれない。

映画を観て涙を流すサマーに、
「ただの映画だよ」は確かに終わりを確信させる。
こんなこと言われたら
私にはこの人ではないのだと悟ってしまう。
ただただサマーにとってトムは
運命だと感じる相手、
運命だと感じたい相手ではなかった。

結局運命にしようとお互いが思わない限り
うまくいかないのかもしれない。

"運命の女性に出会うまで幸せになれないと思っていた"トムはサマーとの別離の後、
新しい仕事にも挑戦した。

切ないけれど、ベンチでトムとサマーが話すシーンは印象強い。
サマーはずっとキュートで魅力的だったが
"愛を感じた"サマーの顔は優しさも加わって
それまでで1番魅力的だった。

そして最後のオータムとのシーンに救われた。
運命なんてない、
全ては偶然なのだと気づいたトムの行動が素敵だった。

"壮大な宇宙の意味は
日常レベルで判断できない
偶然 それが全てだ
偶然だけだ
彼は理解した
奇跡は起こらないのだ
運命の力など
存在しないのだ
今こそ彼はそう確信した"

日々身の上に起こる偶然に感謝しながら
全ては"自分の行動次第"と腑に落として
生きていたい。
と感じた映画でした。

(こんなに真面目に映画レビューしたの、
初めてかも。笑)
maria

maria