カシツルワバラアユアイカム

息子のカシツルワバラアユアイカムのレビュー・感想・評価

息子(1991年製作の映画)
4.3
山田ヨウジの作品、寅さんをのぞくと、二作目。とてもよかった。
寅さんの後半で不具らしき人物がでていて少し気になり、学校2をみたら養護学校が舞台、そして今回これみたら、また不具。
やはり関心があるのかな?

くちが聞けなくても、共通言語はいくらでもあるね
同じ空気を吸ってるし、みんな母親から生まれてきたしね
表情というものを与えられた我々は相当強い!
でも、あれか、口が聞けても、外人だと思ったら話そうとしなかったりもしちゃうしなぁ

戦争にいったり、出稼ぎにいったり、いろんなところに出かけてって、その度に、家に帰ってくるね。

寅さんの三段構成が、断片的すぎて散り散りになっているな、と、思う回がわりとあったけれど、これをみて、その印象が変わっていきそうだな。こういうもんなんだよなぁ


死の準備しといた方がいいかもしれない

かやぶき屋根の茶色いつらら

山田ヨウジがうつす自然は本当綺麗、リアル情緒、情緒シット
ずっと鳴ってるテーマの曲もよかったな
気持ち悪気味のピアノのトリルから鳴って、短か長かよくわからない調子で重ねられてく、あの感じ、サイコー

父さんが最後にみた幻想は、走馬燈、じゃないよね、そのあと歌うたってたし、あれは良き思い出!
これからも父さんは末っ子の世話を焼くんだもんね!
ほんとよかった!
父さん、一回寝たのに、ビール飲みだして歌うたいだすとか、ああいうの、ほんとサイコー。よすぎて泣ける。
まぁすぐ死ぬけどね
でも、いいんだ



部屋の中で布団に潜り込み、携帯で映画を見てると、自分がどこにいるのか、わからなくなる。
上下左右、東西南北、窓の位置、家具の位置、ドアの位置、枕の位置、全部わからなくなってしまう!
そうなると、布団の中にある体の認識も希薄になり、布団からはみ出しているアタマだけが唯一世界に残されたぼくのものみたいになる!
うしなわれていく身体性。
画面に映し出されている物語と、アタマだけが。
物語の中に、どっぷり入り込んでいるようで、そのことを認識した瞬間はものすごく現実を意識しているっていうことなんだろうなぁ。現実は四角く区切られていないからな。
物語と現実の曖昧な境界線の上に立っているような感覚で、変な気分になるけど、なんか面白い。
テクノロジーが与えてくれた新しい映画体験の一つなのかな!