のぶ

ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃ののぶのレビュー・感想・評価

4.5
昭和29年11月3日…第一作ゴジラが公開された。
終戦からわずか9年。アメリカの占領統治から独立してわずか2年のことである。この映画に関わった人たちは皆、あの戦争を生きてきた人々であった。戦争の悲惨さ、原爆の恐怖を肌身を通じて味わって来た人々。第一作目のゴジラには、その戦争への恐怖、愚かさが克明に映し出されていた。
それから50年弱…。この国、この国の人々は、呆れるほど過去を見事に消し去った。

現代人が忘れ去った太平洋戦争で死んだ人々の残留思念がゴジラには宿っているという設定は、自分にとってはとても納得のいく設定であり、第一作の正当な続編であると言い切れる設定なのである。ゴジラは何故、皇居を壊さないのか?壊せないのである。1作目でも、品川から上陸したゴジラは永田町から皇居を避けるかのように、千代田区を大きく迂回して上野、浅草から隅田川に抜けるコースを辿っている。

金子版ゴジラで説明されたゴジラは太平洋戦争で死んだ人々の怨念が宿っていると言う設定…そう、何故ゴジラが東京に向かうのか?と言う疑問を見事に解明しているのである。
かの戦争で死んだ人々は、天皇への忠誠を胸に戦い死んでいった。戦前の日本人にとって天皇=国家であったのだ。その人たちの残留思念が宿ってゴジラとして現れたら、間違いなく東京…皇居に向かうに違いない。彼らにとって日本とは天皇そのもの…皇居を一目拝みたいのかもしれない。だからゴジラは東京に向かう。そうゴジラは、悲しき彷徨える皇軍なのだ。

伊佐山老人(天本英世)を狂言回しに、戦後日本をさりげなく批判しているのも白眉であった。最後に彼の正体が分かったとき自分は、一抹の不気味さと切ない感動を覚えた。

あの戦争から60年以上経った今、平和ボケし、すっかり変わり果てた日本に於いて、戦争の傷跡を引きずった第一作の続きを大まじめに堂々と描こうとした金子監督の演出には頭が下がるのである。この映画をとやかく言うマニアは、物事の本質を見ない典型的な日本人かもしれない。
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