おくむらひ

ミツバチのささやきのおくむらひのレビュー・感想・評価

ミツバチのささやき(1973年製作の映画)
5.0
デジタルの高精細さというベクトルとは違う、フィルムならではの耽美さを持つ映像がひたすらに気持ちいい。決められた構図に柔らかな照明を当て、固定したカメラで撮る。黒とのコントラストが本当に美しい。画面内の動作を繋ぐというよりは、各カットの印象で見せていくような編集で、テンポは全体的にゆったりしている。また、台詞も極端に少ないのも相まって、舞台となった1940年頃のスペインの何処かの村の空気であったり、小学生のアナから見た時間の流れを感じられる。
物語としては単純に言うなら少女の成長譚なのだが、いつガラスのようにひび割れて崩壊してしまうのか分からない緊張感と不穏感が通奏低音として鳴り続ける。それは夫婦の不仲か、食卓を囲んでも同じ画面に映ることのない家族か、廃墟に現れた男を殺した父か、物憂げな母の描写が原因なのか。もしくはフランケンシュタインという異形の存在か。全てが不穏さを抱えており、協和音にならない。イザベルの子どもらしい無邪気な残酷さも妙な後味を残す。まだ一度観ただけで全て把握はできていないが、ミツバチとアナの父の存在にフランコ独裁政権の投影が見えたのもその一因だろう。女王蜂の下で死ぬまで働き続け巣箱から解放されない働き蜂は、独裁政権に自由を奪われた国民のメタファー。巣箱を管理し、終盤は警察的な仕事も行い、経済的にいい暮らしの父は恐らく体制側なのだろう。スペイン内戦の歴史を振り返れば、彼が毒キノコを踏み潰すときの物言いは、保守派から見た共和派の姿についてのようにも解釈できなくはない。母はせっかく書いた手紙を燃やして何かを諦める。独裁政権とそれと相似形の家父長制の両方を前に遂に自由を手放してしまった描写だろうか。
1940年頃のスペインを舞台にした映画が1973年に公開されるというメタな状況も含めて、フランコ独裁政権の閉塞感が流れ込むこの作品。アナがハニカム構造があしらわれた窓の外に出て自らの名前を唱えるのは、もちろんフランケンシュタインと交信をしたいが故なのだが、巣箱から出た名もなきミツバチが自らのアイデンティティを獲得する描写として、唯一不穏さを置き去りにして純粋に爽快感なるものを味わえる感動的な瞬間だ。
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