いか

機動戦士ガンダム III めぐりあい宇宙編のいかのレビュー・感想・評価

4.2
ファースト三部作の中では群を抜いて作画がいいし、エモい描写も多めかつ重厚な(軽薄なエモさではなく、しっかりと伏線が張られた段階でのエモい展開がぐっと効く)感じである。ララァ・スンとかいう切れ者の登場により、『逆シャア』まで続くアムロとシャア(ガンダムとザク、ではない。あくまでパイロット個人の関係で)の因縁が生起することに。カリスマ的性格を有したララァに対する彼らのマザコン的な愛情は、アムロにとっては自分がなぜガンダムに乗って戦っているのかを自問させたはずだし(自分が一番ガンダムを上手く使えるから、仕方なく戦っているというアムロに、ララァは語る。「貴方は何の為に戦っているの…私は私を救ってくれた人の為に、戦っているのよ…」)、シャアにとっては自分を超える者としてのニュータイプ・ララァにジオンの未来を仮託したものであったはずだ。戦中にララァを過失であるとはいえ彼らの手で殺してしまい、アムロ「君と出会うのが遅すぎたんだ…」とシャア「ララァ…今はガンダムを倒せない…」双方は、残されたものとしての傷跡を背負う。ララァを失った後、あからさまにシャアはガンダム討伐を焦ってるし、そのせいでまたもやアムロの返り討ちにあうのだが、戦いに負けてもやられっぱなしにはならないのがシャアという男らしい。致命的なミスは(ララァを除けば)犯さないわけだ。妹アルテイシアに「チャンスは最大限に生かす、それが私の主義だ」という劇場版的名言を残し、同胞ジオンの脱出艦に完璧な一撃を食らわせ、姿を消す。一方アムロは、シャアとの一騎打ちを爆撃によって阻害され、ベースに帰還できずに死にかけるが、先に避難した仲間たちのテレパシーによって生還を果たす。「僕にはまだ帰れる場所がある…」ニュータイプとして覚醒したアムロはかつて、一緒に戦っている仲間と自分は違う存在なんだから優遇されて然るべきだと思い、仲間に疎外された孤独な自分というイメージを勝手に作り上げていた。アムロの中で仲間はあくまで他人だし、他人のために戦うことなど考えることができなかった。自分のために戦うことしかできなかったし、自分が死ぬのがイヤだったから戦った。けれども、ファーストのラストシーン、ここでアムロはララァが語ったことを思う。自分は何のために戦っているのか。愛しいララァはもういない。だから、大切な人のために戦うことはできない。だけど…いや、だからこそ、それぞれに愛する人がいるような仲間たちのために戦うことはできるだろうか。仲間たちとその愛する人たちの、その愛を語る場所のために、自分は戦えるのではないか。愛する人がいる仲間たちのもとへ、自分が帰れる場所を守るために。「ララァ…僕にはまだ帰れる場所がある…こんなに嬉しいことはない…」シャアの謀殺により、一年戦争は終結する。
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