マジ黒沢清の「カリスマ」みたいな映画。
シャマランのは評論家が犬に食われたけど。
映画に登場するものが意味あるものとして出てくるんだけども、その意味が自己完結しようとするのを許さない感じある。許さないというか、完結のしようがないというか。そこにそのままあるだけ。すげー。
物語=映画を信じない評論家は殺されちゃったけど、絶対ありえんと思ってる事柄だとしても、それがあるかないかの違いが理解はできるっちゅう領域を認めてる時点である種の超越性を容認してるって事だし、それがすでに信じてしまっている事なんだなあと。そんな何かを思い出させてくれた映画。