[メモ]
存在を示すために叫ぶ
声なき悲鳴
理解されたい
世界と自分との隔たりに苦しみ、その隔たりをエーテルとしてリリイは表現してくれる
彼らにとって唯一の理解者に見えたのかもしれない
クラスの雰囲気、電脳空間、噂、確固たる理由のないもの、あらゆる虚構・見えないものがエーテルを通して現実世界に影響する。色彩を持って現れる。
虚構=想像=自分
虚構でも現実でもないその間の安らぎの場所、現実逃避と言い換えるとあまりに陳腐だが、リリイ・シュシュはそういった見えない場所「エーテル」を具現化する人。
思春期の人間が自分と世界との間に感じる「変な音」。「音じゃないかも」しれないモノ。それを悩みだとか中二病だとかいう言葉に矮小化せずに、この映画ではエーテルそしてリリイ・シュシュというモチーフを通して丁寧に表現される。
ゆーいちには、その音がハウリングを起こして知覚できるほどゲロ吐くほどデカくなった
「エーテルが汚れる」はニセモノ
リリイ・シュシュのすべて
=自分と世界との間にあるもののすべて
現実は虚構のようであり、虚構は現実になり、14歳のリアルはエーテルだけ
「緑」は何を表すのか