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アマンドラ!希望の歌のカントのレビュー・感想・評価

アマンドラ!希望の歌(2002年製作の映画)
4.0
✴歌は魂の叫び✴
ネルソン・マンデラ生誕100周年を記念して鑑賞💡南アのアパルトヘイト解放は他に類を見ない「歌による革命」だった。革命の軌跡を描くリアル・ドキュメント。

1948年アパルトヘイト(人種隔離政策)施行。白人に虐げられ、抵抗を続ける黒人達。斗いのどの局面でも、そこには歌が有った。

重要人物2人。
①ヴィシレ・ミニ(作曲家/解放運動家)絞首刑で首にロープが巻かれる瞬間まで歌い続けた闘士。
②ネルソン・マンデラ(説明不要)

アパルトヘイトを「良き隣人関係政策」と嘯(ウソブ)いたのは白人のフェルワールド首相。
彼を揶揄してヴィシレ・ミニが作った歌「気をつけろ!フェルワールド」

【洗浄】と称して黒人を無理やりメドウランズの荒野へ押し込める排斥っぷり。その時に流行した「メドウランズ」

「クール・トレイン」ヨハネスブルグへ安い労働力を運ぶ悲劇の汽車。1日16時間、鉱山の中、ほぼ無給で働く黒人達を歌う。

1960年、身分証不所持者を容赦なく拘束するパス法。それに端を発するシャープヴィル事件。
1964年、解放運動のリーダー、マンデラ氏に終身刑の判決。

1970年代「我々が何をした?」唯一の罪は「黒人である」と言うだけ!と歌う。

1976年、ソウェト蜂起。
MK(地下軍隊)の結成。士気を鼓舞する為に歌い、仲間が倒れ涙する代わりに歌う。

「シュマナランガ」(木曜に会いましょう)多くの黒人メードが木曜日に休みだった事に由来する歌。

1980年代。
「10代の埋葬」
「トイトイ」ジンバブエ発祥の激しいダンスと歌。白人の銃が怖くなくなる。
「取り戻せマンデラ」マンデラ解放の機運の高まり。

そして1990年2月11日
ネルソン・マンデラ氏の解放!
大統領就任。

▼私がネルソン・マンデラの名前を知ったのは1984年、スペシャルズの「ネルソン・マンデラ」の曲を聞いた時。
その時は…誰?と思いましたが😅
1990年10月31日にマンデラ氏が来日した時、知人がマンデラ氏の前で「オリサッサ・マンデラ」を歌いました。
大統領に就任して以来のマンデラ氏の評価は分かれるものの、やはり27年の獄中闘争と解放、そしてアパルトヘイト撤廃は「人類の凱歌」と呼ぶに相応しいのでは!と思っています😄
ビバ!マンデラ!
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