丽遥

女系家族の丽遥のレビュー・感想・評価

女系家族(1963年製作の映画)
3.8
いやーこれも面白かった 結局三姉妹は思うようにいかなかったわけだけど、若尾文子と父の生き様を見て、イエからの解放を遂げた訳だから得をしたとも言える。3女が言うように、少なくなってしまったがそれでも莫大な遺産を元手に個として自由に生きてほしい。

それにしても若尾文子の登場シーンと京マチ子のラストシーンが対になっていたのが最高。2人とも同じように画面を左から右へと移動する様子がワイドスクリーンでダイナミックに捉えられる。当然京マチ子は家の中にほとんど常にいて、女系家族の長子としての遺産確保のための行動以外は大して動かないのだけど(動いたとしてもボディーガードがついてる)、このラストシーンでは1人で、ボディーガードに別れを告げ、自分で日傘をさして歩き出す。この演出は京マチ子が若尾文子のように1人の人間として生きはじめた証拠だといえる。

それまでの京マチ子、というか2女とおばは矢島家の肩書きの元、一致団結して遺産相続に精を出していたと見える。初めはたしかにそれぞれの自我を出していたけど、余市と若尾文子が怪しくなってきた瞬間、様子が変わってくる。矢島が損をしないように、矢島の尊厳を壊さないように三人で協力するようになる。それが演出にも表れていた。三人は同じ帯や着物を共有するようになるのだ。全く同じものでなくても、柄の配置や色調の似た和服を物語内での説明もなく身につけるようになる。それどころか、三女にあなたも和服着なさいよとも言ってのける。これは女系家族としてのイエの繋がりを今こそ強化したいという三人の内面の表出の表現といっていいだろう。

それとは違って、三女は割に自由気ままな生活を送る。料理教室に行くと言いながら友達と遊んだり、遺産を相続するにしても友達と遊ぶためとか、自分のために使おうとしている。若いから家制度に染まってないというのもあると思うが、だからこそ若尾文子に攻撃する三人から目を背け、彼女らに悪態をつくのだろう。

あと凄かったのは冒頭の矢島の家のハイアングルからのロングショットや土地測定のときのディープフォーカスのロングショット。イエが画面の大半を占めていて、人が米粒のよう。この物語では人間よりイエ、ということが一瞬で伝わってくる。対して若尾文子の登場シーンは彼女が遠くから歩いてきて、どんどん大きく映されることで、彼女の個としての存在が際立つような感じがあった。クライマックスで若尾文子が消えた後、先祖の遺影をアップの長回しで映し、お母さんとお父さんの遺影で止まり、長女と次女が個としてのお母さんの存在をはじめて考え出すという演出も物語の本質をよく捉えていたと思う。
丽遥

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