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白い足のukigumo09のレビュー・感想・評価

白い足(1949年製作の映画)
3.8
1949年のジャン・グレミヨン監督作品。グレミヨンという映画作家を形容する際にしばしば「呪われた」という言葉が用いられる。彼の作品がロケーションを多用した独自の美的感覚を持っていながら興行的に恵まれないものが多かったこと、あるいは1959年に58歳という若さで死んでしまったことも原因と考えられる。1959年といえばフランス映画界ではフランソワ・トリュフォー監督の長編デビュー作『大人は判ってくれない』が公開された年で、ヌーヴェルヴァーグの時代の本格的な到来、新しい波に飲み込まれ忘れられえてしまったのだ。
グレミヨンの作品の中にもジャン・ギャバン主演の『愛慾(1937)』やライム主演の『不思議なヴィクトル氏(1938)』などヒットした作品はあるが『高原の情熱(1943)』が彼の「呪われた」という地位を確固たるものとする。占領下における検閲、建設途中のダムを使った困難な製作、ユダヤ人の美術監督であるジョルジュ・トローネルのクレジットからの削除など問題が山積みであったのだ。しかしこの映画は占領下にありながらレジスタンス的なサブテキストが含まれていたり、1人の女性にタイプの異なる3人の男性が恋をするグレミヨン的主題であったりと、見どころたっぷりの作品である。翌年の『この空は君のもの(1944)』の興行的失敗の後、いくつかの企画が頓挫したり短縮版として公開されたりしたあと、再起をかけた作品が本作『白い足』である。

本作は元々劇作家のジャン・アヌイの原作をアヌイ自身が監督する予定だったが、彼が撮影直前に病で倒れてしまったためグレミヨンに監督の機会が巡ってきた。アヌイの原作ではノルウェーが舞台だったものをブルターニュ地方に置き換えたのはグレミヨンだ。
オープニングではこのブルターニュ地方の海岸を一台の車がヘッドライトをつけて走っている。酒場の主人であるジョック(フェルナン・ルドゥ)が街から情婦オデット(シュジー・ドレール)を連れて帰って来たのだ。酒場にはミミ(アルレット・トマ)という若い女給がいる。いつもジョックのわがままを聞いており、自分を醜いと思っている孤独な女性だ。彼女は村中から嫌われている「白い足」を慕っている唯一の人物だ。「白い足」とはいつも白いゲートルをつけているためそう呼ばれている若い伯爵ケリアデック(ポール・ベルナール)の事で、村の子供たちからも罵られたり追い回されたりしている。このケリアデックには腹違いの弟モーリス(ミシェル・ブーケ)がおり、私生児ゆえの孤独や貧しさ(いつも服が破れている)を抱えており、ケリアデックへの復讐の機会を窺っている。本作『白い足』は男性3人、女性2人を中心とした物語である。特にオデットがジョックだけでなく、ケリアデックやモーリスもその官能的魅力で虜にし、破滅させるというプロットは『高原の情熱』に近いものがある。
ケリアデックと女給ミミが接近するのは癪に障ると言わんばかりに、彼の城にズカズカと入っていき、裸足で歩き回った挙句足の裏をガラスで切ってしまうのだが、ケリアデックに足の消毒をさせながら次第に近づくのが彼女のスタイルだ。モーリスにも部屋に浴槽を運び込ませ入浴して見せるなど、男を骨抜きにする奔放な女ぶりを見せるが、元々はお針子で、昔の恋人の手紙を捨てられないという人間的な一面もある。そんなオデットは花嫁衣裳のまま闇夜の岸壁で海に落下してしまうのだが、その際のひらひらと舞うベールの白さは忘れがたい。

この映画ではそれぞれ異なる社会階層の登場人物を居住空間の違いで簡潔に表現している。社会的、地理的な孤立を描いてきたグレミヨンにとってケリアデックという人物は孤立した集落でさらに孤立した特権的な人物だ。だからこそタイトルも彼の事を指し示す『白い足』となっているのだろう。
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