まぁや

オール・アバウト・マイ・マザーのまぁやのレビュー・感想・評価

4.3
ペドロ・アルモドバル監督
愛する息子を突然の事故で失ったシングルマザーの苦しみ。実際に息子を失った友人に寄り添っていた時期が経験としてあるので、本作は鑑賞するのをずっとためらっていたのだが、やはり失意のどん底に落ち込んだ女性が、どのようにして立ち上がっていくのか、その姿を見てみたいという気持ちに駈られて作品を手に取った。

想像していたよりもみっしりと重量感があり、見終わったときは満足感でしばらく意識が宙を彷徨してしまった。

看護士をしているマヌエラと一人息子のエステバン。文筆家を目指す彼は、自身の誕生日プレゼントに女優ウマ・ロッホの舞台を観に行くことを母に提案する。
雨に濡れながらウマの出待ちにスタンバイする二人。
サインを求めてウマのタクシーを追いかけたエステバンは、事故で帰らぬ人となった。

本作はエステバンを胸に抱き、前を向いて歩き始めたマヌエラの人生に寄り添い彼女の人生を丁寧に描いている。

マヌエラはマドリッドを去り、かつて生活の基盤であったバルセロナに舞い戻る。旧友のアグラードとの再開は強烈。野原でお客と取っ組み合いをしていた彼は、、彼というべきか彼女というべきか。上半身は女性の造形でありながら下半身は男性のアイデンティティーを保持したトランスジェンダーな人。

アグラードと触れあう内に、マヌエラは笑顔を取り戻していく。そうして運命の女性シスターロサと出会い、ひょんなことから女優ウマの付き人を引き受けるなど、マヌエラが歩み出したことで、運命の歯車がキリキリと回り出す。
群像劇なので、マヌエラに関わる様々な人々の人生が濃密にけれどさりげなく描き出される。

登場人物はトランスジェンダーな人を含めてすべて女性である。そこには幅広い価値観があって、どれが良くてどれが悪いのような分別を極めるような描きかたはなされない。

息子を失った苦しみを抱えつつ、今を懸命にいきようとするマヌエラ

理想の女性像を求めて全身シリコン尽くしにしながらも男性のアイデンティティーも残そうとするアグラード

愛する人の子供を宿しながらも、AIDSに感染したことで不安に打ちのめされるシスターロサ

レズビアンで、思い通りにならない恋に苦しむ女優のウマ

シスターロサの母親でありながら、厳格な価値観と常識から抜け出せず、娘との関係に苦しむ母。

最後に。男性と女性の嫌なところを併せ持ったと形容されるロラ。

書き出すだけでお腹一杯になるのだが、マヌエラはこうした人物全てとしなやかに関わりながら、マヌエラらしい人生を一歩一歩築いていく。群像劇なので、事件も出来事もすべてさらりと描かれていくのだが、物足りなさも感じず、かといって重たさも与えすぎず、過去よりも「今」に焦点を当てているので、鑑賞している側もちょうど良い熱量で彼らの日々に伴走することができる。

こんな色とりどりのモチーフをよくも破綻せずに綺麗に詰め込めたものだと感心する。鑑賞を終えたあとは上質のチョコレートを食べたときのような満足感でふくふくと嬉しくなった。

マヌエラを見ていると多種多様な人物たちとどのように関わっていけばよいのかヒントをたくさんもらえるような気がする。彼女の愛は豊潤で出会った人々を無償の愛で包み込む。価値観のすり合わせが難しい人物に対しては、時というツールを使って、時期が来るのを待った。
そうして気がつけば、彼女は数奇な運命をたどって、再び息子を授けられ育成していくという天命を授かっていた。

彼女の循環する生き方が圧巻で、ひたすら勇気を与えてもらった。辛いときは、ひとまず目の前の事に精をだそう。道はおのずと開けてくる。そんな勇気を授けてもらった作品です。
まぁや

まぁや