まお

スパイダーマン2のまおのレビュー・感想・評価

スパイダーマン2(2004年製作の映画)
4.1
・「”ヒーロー”に個人としての幸福を享受することができるのか。」という大きな問いを含む。正義(「正義」ってなんだよ?は考えなければならない問題だ)を貫く時には、自然と敵が生まれることもある。何故か。人はそんなに”正しく”生きられないから。メイおばさんがPPをスパイダーマンに戻すきっかけとなった台詞に「誰の中にもヒーローは”いる”」というものがあるけど、これって結構大事な気がする。「である」じゃなくて「がいる」。つまり、普段から、まるごとそのまま「ヒーローである」ことは稀、というか難しいということを意味している。それでもヒーローをやると、そうあれない人々との軋轢を生む。反感を買う。なぜなら悪に走る方が簡単だし、即効性のある快楽を得られるから。(これは3でも描かれていることだ。)だから、自分がヒーローとして超越的な(=悪に走りやすい庶民の感覚と乖離した)正義をもてばもつほど、逆説的にヒールにもなりうるというか、孤独になっていく部分もある。だから、個人として愛する人は傍に置けない。じゃあ”自己犠牲”を貫き通さなければヒーローができないのかというと、今度は自己を犠牲にし続けると、「ヒーローでありたい」という自己すら失う(PPは作中で能力を失いかける)という問題もある。結局、「世界の幸福か、自分の幸福か」という二者択一ではないところを目指さなければならないのだと思う。
「ヒーローである自分には、他の人よりも関わり合うリスクが大きい、それでも、僕はあなたをも守りながら一緒に幸せになりたい、けど、君はどうか」という対話をしていくほかない。そして、実際に、自分がヒーローであるが故に自分の愛する人狙われ、傷つけられた際の痛み・苦しみ・悲しみは、「引き受ける」という覚悟をすること。この、「引き受ける」という姿勢が、難しいし、が故に美しいのではないかと思う。

・回想、というか頭の中でベンおじさんと会話するシーン、おじさんの要求は流石に不当、というか酷ではないか…?自分はメイおばさんと結婚して、個人としての幸福を得ているのに、甥のPPには「力があるんだから頑張れ。それが力を”持ってしまった”者の責任だ」ってそれはキツくないですかね…と、思ったけど、3で一応車強盗に屈せず正義を貫いたことが示される、から、回収できているのかな…どうだろう。個人的には虫がいいなと思ってしまう部分もあった。

・ラストの方、MJの「私も一緒に立ち向かう」。これは頂けない。ストーリー展開としてはこうするほかない気がするが、「実際一番の弱点になりうる」ということを、当の本人が自覚していない危険。
しかも3で結局すぐ折れるあたりが特に残念。”ヒーロー”が基本的に”奉仕””自己犠牲”の上に成り立たっていて、それを支えるということは自分も同じ状況に身を置くことに他ならない、なんなら、ヒーローは自身の身をその力でもって守る算段があるが、「自分は狙われたらヒーロー以上に危ない」というリスクをしょってでも、「それでもあなたといたい」という決断であるべきだと思う。
この辺、守る側と守られる側で感覚のズレが起こりがちで難しいと思う。
当の、守られる側の方が、危険を過少に評価しがち。
東京03の「デート」にも同じ構図が存在する。面白い。絡めたい。

・人間の良心の問題。ドックオクの最後
 「I will not die a monster」は短いながらいいセリフだと思う。
まお

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