Sono

アメリカン・ビューティーのSonoのレビュー・感想・評価

アメリカン・ビューティー(1999年製作の映画)
3.9
1999年製作のアメリカ映画。
現代アメリカにおけるあらゆる国民不安を、
ある一家とそれを取り囲む人間模様によって描いた作品。


個人が抱える複雑な苦悩や葛藤、不安、怒りを
前半はコミカルに、後半はよりシリアスに切り込んで描写している。
前半で登場人物それぞれに大枠を持たせることで、
観ている人間はどういうキャラクターかを想像しやすく、
後半にかけて複雑になる心理描写やアメリカ社会の問題に対して
拒否感を抱くことなく理解しやすい構成になっていたと思う。

<主人公レスター>
アメリカ社会における男性の性的役割の危機を反映する人物のように見えた。
彼は広告会社に20年勤めた挙句、年下の上司にクビを宣告される惨めな男だ。家庭においても、彼は「威厳ある夫/父親」とは程遠く、食事中に妻が流す音楽に文句を言う権力すらない。そこで観客は、開始10分足らずで彼を「職場でも家庭でも立場のない哀れな男」という印象を持つだろう。

<妻キャロライン>
フェミニズムを纏ったような女性で、不動産業を営み、車を運転し、夫にも対等かそれ以上の権力を持って意見を主張する。自宅の家具を高級品で揃えたり、理想的な家族を演出しようとする姿に「社会的成功や地位ばかり求める母性のない女性」と感じるだろう。しかし、『最後に頼りになるのは自分だけ』という彼女の言葉は、幼少期に経験した貧困へのコンプレックス、女性が社会を生き抜くことの難しさを物語っている。彼女が日頃から感情的にならないよう努めているのも、「女性はヒステリック」という固定観念への対抗として捉えることが出来る。そして、その固定観念を打ち破るのは容易ではないというジレンマが、彼女が最終的にこらえきれず涙を流しながら車内で叫ぶ姿に反映されているように感じた。

<フランク・フィッツ大佐>
自己構築と規律を重んじる彼は、この作品で最も自身にコンプレックスを抱いている人物であり、「クローゼット」の象徴的存在だ。

この作品では、そんな大人たちの不安が子どもたちにどのような影響を与えるかも描いている。
<娘ジェーン>
思春期のティーンネイジャーらしく、両親に対して反抗的で、会話を持とうとしない。一方で、両親の不仲を敏感に感じ取り、ストレスに押しつぶされそうになっている。自分の理想を押し付けてくる母親と家族に無関心な父親に対する不信感は、やがて「家族」という形態そのものへの猜疑と諦めに変わっていく。恋人との関係に傾倒し心を閉ざしていく姿は、現代の若者たちの孤独と愛情の欠如を映し出している。

<ジェーンの恋人リッキー>
引っ越してきた家族の息子、リッキー。元軍人で厳格な父親と精神を病んでしまっている母親の下で、独特な感性と視点で世界を眺めていて、作中に出てくる登場人物の中でも異彩を放っている。また、自身が同性愛者であり、同時にホモフォビアでもある父親に対しては、自分自身を受け入れることのできない弱い人間という判断を下しており、息子ともあらゆる面で壁をつくる父に絶望を感じている。母親に対しても、そんな父と一緒になったことを憐れむなど、両親に愛情をこそ抱いているものの、彼らの人間としての未熟さに落胆し、人生を俯瞰的に見たり、大人を欺くような行動をとる。

ジェーンとリッキー、彼らはいずれも親の庇護を必要としているが、両親は子どもたちからのSOSに気付かない。アメリカの”riberty(自由)”という見せかけの理念の下、合理主義と固定的価値観に塗り固められた国ゆえに、親たちが自分を守ることに必死で、子どもの抱える悩みや孤独をキャッチできずにいるためである。この映画では、個人の悩みが家庭に与える影響、家庭内での役割と個人のズレ、それにより生じる人間の不和が描かれている。

多くの人間が社会的地位や名誉、道徳、理想的な家庭に幸福を見出そうとするが、それらは真の幸福の副産物にすぎないということを、忘れずにいたい。
Sono

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