パリパリ海苔

飼育のパリパリ海苔のレビュー・感想・評価

飼育(1961年製作の映画)
3.5
極端な俯瞰や遠景の長回しが多用されており、焦点の定まらない無機質なカメラが村社会の残酷さ、醜悪さ、不気味さを直接届けてくる。舞台は本家と分家とから成る、全員が血縁の農村部落(「部落」というセリフがあった)なので作中で登場人物の名前が呼ばれることはほとんどなく、そのことも観客に疎外感を覚えさせる。それだけに、出征した村の青年の訃報が届いたときにその母がフレームの外へと視線を向け何度も名前を呼ぶシーンは印象的である。村の人間の死がフレームの外に置かれるというのは、ラストシーンにおいて次郎の仏壇(?)がカメラにとらえられないことにも現れている。すなわち村には、彼の仏壇を前にして踊り騒ぐ大人や、その様子をじいっと眺める子どもたちといった、生きている人間だけがあくまで存在するのだ。このことと対比して語られるべきは映画内で最も印象的なシーンであろう、黒人兵の遺体が入った棺を土に埋めるシーンである。画面中央に棺が置かれているだけの長回しで、それに土をかける村の人々の手が映されており、ある時そこに村での会議の音声が重ねられ、やがて映像もオーバーラップして会議のシーンへと移行していく。黒人兵自体が村にとって異質であったように、その死は村にとって異質なものとして残り続けるのだろう。オーバーラップにおいて残存するのと同じく。

追記:原作との比較
大江健三郎による原作は、黒人兵の世話をすることになる少年の目を通して村の大人や子供たち、あるいは町、戦争を見ていくという形になっている。少年と黒人兵とのあいだには特別で緊密な絆が育まれ少年の中で黒人兵は神的な存在へ変化していくのであるが、村の大人たちによる殺害の危険という外圧によって黒人兵は「敵」へと変貌する。神であり敵であった黒人兵が殺されるという契機を通じて少年は大人になるのだ。これに対して大島渚の映画では、先述の通り無機質なカメラで村が捉えられる点で異なっている。映画版に主人公はおらず村がただ存在するだけである。
また、原作は戦争とは関係がない村に生きていた少年による戦争の理解という過程を描いている。1958年発表ということに鑑みれば、当時の13歳以下の子供たちは戦争を知らず、物語開始時点の主人公と同じような感覚を持っていたと推測しうる。したがって「飼育」は時代的な距離を地理的な距離に移し替えて描写した作品として理解できる。いわば日常と戦争との関係を、グロテスクな表現による日常の脱臼を通じて描き出しているのである。それに対して映画では、東京からやってきた疎開者などの視線も織り込まれており、多層的な構造を有するものとしての集落が描かれているものの、しかしそうした多層性すら集落の土に回収されてしまうという絶望が表現されている。日常と戦争とはすでに関係しているものとして前提されており、代わりに導入されるのは勝利と敗北との関係であるが、しかし結局のところ、黒人兵が死のうが、戦争が終わろうが、日本が負けようが、集落にとっては全く関係がないのだ。
上記二点において、原作と映画とではかなり味わいが異なっていることが指摘できる。
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