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地獄への道のTnTのネタバレレビュー・内容・結末

地獄への道(1939年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

 実在の”無法者”ジェシー・ジェームズを元にした西部劇。世界で初めて銀行強盗をした男としてwikiでも書かれ、肩書きにちゃんと無法者とさえ書かれている笑。そんな今作で彼を演じるのはタイロン・パワー。そしてその兄を演じるのはヘンリー・フォンダ。このイケメン二人に敵うわけない、どんな敵も、そう思わされる作品だった。テクニカラーのこの映画、妙に影が黒々していて、彼らアンチ・ヒーローの存在を下支えしているように思えた。

 シーン繋ぎに音楽が入るも、逃走シーンやバトルシーンには一切劇伴を伴わない。リアリズムよりな演出だった。またかなり演技もスタント必須(必死)のものが多く、馬がこけて演者が前方に転げ落ちるあるシーンは、ちょっと普通に演者自体の安否に気を使うほど。極め付けには崖から馬もろとも海にダイブするシーンをリアルでやっていて、観ているこっちが肝を冷やした。本当に、馬も人も手綱を握って繋げられた無防備なフリーフォールなのだ。劇伴で盛り上げることもなくさも平然とやってのけるそのシーンの衝撃。つまり音に頼らずともヤバイシーンが撮れると意気込んだからこその演出だったのだろうか。

 ジェームズ兄弟に対してわかりやすい悪党が悪党らしく出てきて演出臭さを感じつつも、この兄弟の彼らへのかっこいい返しには思わず惚れる。ある程度映画内での立ち位置を確認したのち、物語は急展開していく、それもかなり序盤で。ジェームズ兄弟は鉄道会社と対立し、鉄道会社の連中は逮捕状を携えて家に押し寄せてくる。すると中に誰がいるかも確認せずいきなり彼らは爆弾を投げ込む。そして中にいた病気の母もろとも爆発する!ちょっと雑すぎる敵の悪意の演出。しかしどう考えても無双しそうだったジェームズ兄弟からは想像できなかったタイトルの「地獄」という文字が、ここにきて納得せざるを得ない。また母も映画的な演出にありがちな最期の一言さえ残さず無残に死を迎える、地獄だ。そしてここまでの仕打ちで当然ながら敵討ちが起きるのだが、これまたジェシーがあっさりと遂げてしまう。しかも、バーに行く→仇の相手がいる→ジェシー「よし、ここで決闘だ」→バーテン「いいでしょう」(店内で敵討ちすな)→仇「待ってくれジェシー!バキューン(銃声に倒れる)」というあっさりというか強引な展開。せめて表出てそういうのやるだろ。でもまぁ、仮にも母を殺されているから即殺したいのだろうけど。こうして映画的演出より彼らのリアルな意思を尊重させて物語は進む(もしくは脚本が詰め詰めだったのか?)。だが、ここからはヒッチコックの「めまい」じゃないけど、もう特に目的がなくなった彼らは、次第に崩壊の道へと自ずと進んで行く。そしてこの映画は、ジェシーの転落の物語なのだとその時になって気がつくのだ。

 目的を失った怒れる男二人は仲間を携え鉄道会社に奇襲したり銀行を襲う。その危うさは映画の彷徨い具合とともに観客も不安げに見守る形になる。さらに追い討ちをかけてジェシーの恋仲のゼレルダが保安官といい感じになり、ジェシーに関しては無敵の人化が進んで行く。しかし、もうジェシーに更生の道は無い。銀行強盗に失敗して命からがら助かった彼に、ゼレルダが駆け寄り、汽車に乗ってカリフォルニアに行く決意をする。しかし、あそこまで敵対した鉄道会社を使用するダブスタによって彼は命を落としたと言っても過言ではない。直接の死因は仲間の裏切りだったが、「汽車に乗ってカリフォルニアに行こう」と言ったその言葉自体呪いが込められていたと思った。やたらこのシーンで外を遊ぶ無邪気な子供の声が聞こえ、それが対位法となってジェシーの葛藤を表しているのがわかる。二階で待つゼレルダと一階で裏切り者達と会話するジェシーの交わらない視線の察したやり取りがサスペンスに花を添えていた。外でいじめられていた自分の名を背負った息子のシーンは残酷だった。「死ねジェシー!」と友人達。「はい。死んだよ」と息子、ちょっと可笑しい息子の返しに笑ったが、ジェシーの顔は暗かった。部屋に戻りピンキーが作った名前の札をずらす時、ジェシーは死ぬのだった。それは無法者ジェシーの名を下ろせないという象徴だったのかもしれない。そして、もう立て直し不可能だと神の鉄槌が下ったかのように彼は撃たれる。そんな風に、ジェシーの死には寓意性と予感が溢れていた。ジェシー・ジェームズはその転落を運命付けられ、そこから逃れることを神は許さなかったのだ。

 そして彼の理性としての兄の存在が終盤フェードアウト気味だったのも、彼の本能的側面を強調しているように見える。葬式にさえ兄は現れなくて、妙な後味を残すのだった。と思ったら、やはりもっとヘンリー・フォンダを見たいという欲求に応えた今作のヘンリー・ジェイムズの続編をフリッツ・ラングが監督しているではないか!是非観たい作品である(「地獄ヘの逆襲」1940)。

 脇を支える新聞屋の親父が良かったな。彼の新聞の内容が、彼の正義に貫かれ、それ故にジェームズ達の敵をこっぴどく書くかと思えば、弁護士やはたまた自分の歯の治療をした歯医者にも当たり散らす。そのマンネリを汲み取った他の人たちとのやりとりが上手い。翌々年に公開される「市民ケーン」も新聞王ハーストが題材だったが、今作の親父も何かしらハースト的なものを象徴していたりするのだろうか?

 アメリカン・ニューシネマ以前からアンチ・ヒーローはいて、それは遡ること西部劇までになる。時折、法を超えた人情味に人は羨望の目を向けるのだ。彼らは犯罪者として確実に我々の経験を超えた存在なのだから。そこにはもちろん地獄への道が続いているもので、だから皆んな踏みとどまるわけなのだが。
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