義清

天国の日々の義清のレビュー・感想・評価

天国の日々(1978年製作の映画)
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幕開けはリチャードギアが鍛冶屋で雇い主と言い争うシーン。真っ赤に熱せられた鉄、煤まみれ、汗まみれの労働者たち、そんな彼らを酷使する雇い主。ここでの言い争いの内容は、鍛治の騒音にかき消されて一切わからない。だから真っ赤な鉄と耳が痛くなるほどの作業音が印象的。
全編にわたる妹の語りが始まるのは、彼が雇い主を組み伏せて逃げ出したあと、3人で汽車の旅をするところで始まる。その汽車と平原の景色は『天国の門』そのもの。彼ら3人は客車の屋根に寝転がって新天地を目指す。
広大な麦の農場はとても美しい。特に夕暮れ。テレンスマリックは、わざわざマジックアワーをねらって撮ったという。麦畑が炎に包まれるシーン、農場の真ん中に建てられたテラス、カーテン越しの浮気のシルエットや、川底に落ちたグラスの描写など、全てが絵画的で詩的だった。
妹自身はほとんど台詞がないものの、しばしばアップで登場しては、その幼いながらに深みのある眼差しが、各場面間の一種の幕のような効果を持っていなくもない。特に、彼女が料理をしている時に、キャベツをかじるイナゴを凝視していた表情が印象的。その眼差しは、まるで悪魔に向けられているかのよう。その直後に場面はイナゴの大襲来につながり、夜を徹しての焼き討ちが麦畑の全焼、農場主の死や3人の逃避行へと展開する。
なぜか結びには、妹がかつて農場で一緒に働いていた娘が登場する。妹は、その年上の友人の恋愛相談に乗っていたが、久々に再会しても彼女はやはり男にすっぽかされ、それを妹が慰めるという構図が続いている。娘は気晴らしに木でも引っ叩きたいと言い、2人ならんで線路を画面の奥へと歩いていく。これで終わり。ずっと変わらない、抜け出せない日常の表象のように感じた。
それにしても、イナゴの大襲来の描写はすごかった。群れをなして飛来するイナゴの集団をどう用意したかってことはともかく、麦の穂をかじるイナゴたちの姿を舐めるようにとらえたカメラワークが素晴らしい。それは科学番組にも使えそうなくらいの丁寧なタッチ。焼き討ちの時にはイナゴの描写が真っ黒な影となり、同様のアップで映される。
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