評価の高い作品ですね。
時間が長いことと、幼少期に見たバットマンのややグロデスクなイメージから敬遠していたら10年も経ってしまいました笑
バットマンいや、少なくともノーランのこのシリーズはもはやヒーローものではないですね。
ヒーローものという側面、転落人生、絶望や、誤算など、
相反するようなテーマ性が融合して、人間味のある物語が描かれています。
(ここからややネタバレ)
僕の印象としては、
ほぼ誰も救えていない、そんな気さえする映画でした。
街に本当に必要なヒーロー。
そんな人が、半身火傷に恋人をなくして、ダークサイドへ堕ちる。
狙われていることがわかっていながら、内通者がいることがわかっていがら、護送を1人に任したり。
ジョーカーという男に終始振り回され、作中でも言っていましたが、まさに彼の勝ちなのでしょう。
どんなに力をつけても、1人のマスクを被った人間が街を護るなど不可能です。
ヒーローものをって現実的に考えるとそうなんだと思います。そもそも存在が犯罪だったりします。法外で巨大な力を持った個人。その気分で、盗聴も殺人もし放題です。
スーパーマンもそうですが、マーベルよりDCコミックスは
ヒーローと現実社会との関わり
に大きなテーマ性が置かれているのかな、と感じます。
バットマンvsスーパーマンでは、スーパーマン証人喚問されてますしね。
ヒーローと司法
ヒーローと談合
ヒーローと政治的リーダー
大人が鑑賞してて楽しめそうなテーマ性を感じます。
そんな、現実社会のリアリティを考えるとルールに縛られて息苦しくなる中、
ジョーカーのような、賢くてかつ常人には理解出来ない狂気性を孕んだテロリストを相手に戦う。
逮捕することや、対峙して戦い殺すことは容易でも、
それではなんの解決にもならない。
真の問題解決が暴力で行われることは決してない。
これは現実社会において当たり前のことですが、物語の中ではそのカタルシスから常識的に行われていることで、勘違いしてしまいがちなところです。
インセプションなどもそうですが、クリストファーノーラン監督の作品は、見ている側に一考させるような、ある種道徳教材のような側面を持ってます。
僕はそれが大好きですが、その考察できる形も魅力であり、
ヒーローとは、偶像崇拝といいますが、
人であるのか、神であるのか、現代にどう生きるか、そんなテーマが語れる面白いテーマだと考えています。