成長したサラはひと言もしゃべらない。
ユダヤ人迫害の歴史を知ることができた、とする感想が散見されるが、これには異論がある。
前半部分において、サラが認知できていなかったことは、何一つわからない。
そして、同じく後半部分は、ジュリアが認知できていないことは、また、私たちにもわからないのだ。
サラは後半ひと言もしゃべらない。
ヴェルディブ事件のことについて、子供の視点で知り得たことなど、出来事の全貌ではない。
母はいかに死んだか、父はどこに行ったのか、収容所に残された子どもたちは、どうなったのか。本作では何もわからない。
本作を観た、我々観客もジュリアと同じく、これからそれらについて、自ら真実を知るために動くことを要求されているのだ。