映画おじいさん

私は貝になりたいの映画おじいさんのレビュー・感想・評価

私は貝になりたい(1959年製作の映画)
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これは反戦映画という体裁はとっているけど、実際はもっと範囲を広げて、人間なんてもうダメなんだということを訴える厭世映画としか思えない。

悪の凡庸という言葉を出すまでもなく、個々で極悪な人は出てこない。事件の最高責任者・藤田進だって警察予備隊結成のニュースを聞いて「民主的な軍隊なんてありえない」と嘆く。そして彼の死を弔うフランキー堺はお人好しである前にまだ人間だった。死刑になった囚人は皆生きているという都市伝説的なものを信じ始めるあたりから壊れていく。

フランキー堺と一夜だけ独房で一緒になる青年は結局何で捕まったのかが分からないのはそれは映画では重要ではないからだろう。
その青年が死刑のために房を移される時に、周りの仲間が言葉に窮して「元気でな」と声を掛けてしまうところのリアリティは凄まじかった。
あと青年が妹から送られてきた聖書のエホバのパートを読むのはどんな意味でなのか。

笠智衆扮する魂が抜けたような坊主(←配役からして皮肉)が「100歳生きた人だって死ぬ時は、自分の人生あっという間だと思うだろう」と慰めだか何だか分からないことを言うところとか、宗教は人間の役には立たないということをハッキリと描いていて気持ち良い。

『血とダイヤモンド』(1964年)で、佐藤允が話す「オレの親父は優しさから捕虜に自分らもなかなか食べられないゴボウを食べさせてあげたら、終戦後、捕虜に木の根っこを食べさせた(虐待)として死刑になったんだよ」というエピソードの元ネタは本作? それとも他に?

陳腐なことを言えば、もう人間であることさえ嫌になった究極の絶望を表すタイトルは映画を観た後だと全然違って聞こえる最高のパンチライン。
とことん絶望してからが本当のスタート(再生)だということを教えてくれる名作だと思います。